おやじの つぶやき

 グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、 
 行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
 多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。 
 この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
 ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
 (但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来て下さいね)

 また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送り下さい。
なお、  をクリックして頂くと、その日の写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」の写真一覧
「おやじのつぶやき」(2008年08月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2008年10月分)

2008年09月30日(火) 晴れ/曇り *** 1827
今日の午前8時の外気温は、+9℃。

ナ〜〜ント、息子のパスポートの有効期限が、本日まで。
娘のは、10月03日まで。
と、分かったので、急遽ベルンの日本大使館に電話で問い合わせると、有効期限内であれば、パスポートだけで更新ができる。
1日でも過ぎると、改めて戸籍謄本などの書類が必要になる、、、との事なので、息子の仕事を午後は休みにしてもらって、親子4人
でベルンに向かう。(娘は、現在秋休み中なので自宅に居る)

久しぶりに、大使館にお邪魔する。
そこで、更新の申請をしたのだが、そこで感じたことは、、、、
スイスに生まれ、スイスに住んでいても、国籍は日本なのだから、息子も娘も日本人である。
自分の名前を漢字で書けないのは、情けないか?。
(息子はかろうじて書けるが、娘は書けない。でも、外国では不要である)

今、平成何年なのか? 知らないのだが。
(日本でしか使わない平成という年号は、やはり必要なのだろうか?)

そして、スイスが現住所なのに、日本の連絡先がやはり、必要なのである。
(で、家内の実家の住所にしたのだが・・・・)

仕方ないか・・・・・・。

自宅の近くで、ヘリコプターの音がするので、出てみると、大きな木を切ったものを運んでいた。
こちらのヘリコプターは、建築工事や、道路工事などにも活躍するが、こうして大きな木を切ったあとの運搬にも活躍している。
木を運搬中のヘリコプター 近くの牧草地に集める
2008年09月29日(月) 晴れ *** 1826
今日の午前8時の外気温は、+8℃。
今日も事務所での仕事を行なう。

穏やかな、1日であった。。。。。
日本人観光客の姿は、パラパラあるが、それでも静かなものである。
秋。
日本のように真っ赤にはならないが、黄色い葉が多くなる。
空も秋の空。
落ち着いた青空である。

秋のスイスもなかなか、良い。
大人の雰囲気がある。
静かな、落ち着いた秋のスイスをぜひ、訪れて欲しい、と思う。
2008年09月28日(日) 晴れ/曇り *** 1825
今日は、早朝からインターラーケンに向かい、お客様のアテンドを行なう。
これは、某ツアーの某ホテルがオーバーブッキングになったため、別のホテルに宿泊することになったお客様の朝食のお世話と
チェックアウトのお世話をするのである。
これに関しては、おやじは、言いたいことがあるのだが、、、、、
ここでは、やめておこう。。。。。(苦笑)

夜には、息子と一緒に車でチューリッヒ空港に向かい、オランダから戻って来る家内と娘を出迎えに行く。
空港の花屋さんでバラの花を買い、息子は家内に。おやじは、娘にプレゼントする。

チューリッヒ空港は、徐々に改築工事も終了し、綺麗に大きくなってゆく。
屋内駐車場も5箇所ほどあるが、これも次々に新しく改築されており、収容台数も多い。
小さいながらも、わかりやすい空港である。
(チューリッヒ空港鉄道駅も、隣のビルなので、徒歩ですぐである)
2008年09月27日(土) 晴れ/曇り *** 1824
今日は、お休み。
自宅での〜〜んびりと過ごす。
(と言っても、することは色々とあるので、PCの前に座りっぱなし、、、、では、あったが・・・)苦笑

夜には、スポーツセンターで、息子の所属するグリンデルワルト・アイスホッケーチームの試合があったので見に行く。
試合は、ボロ負けしたのだが。。。。(苦笑)
このスポーツセンターは、最近までタバコが吸えた。
屋内なのにタバコを吸うので、空気は汚れるわ、近くで吸われると気分が悪くなるわ、、、、で、おやじは困っていた。
そこで、先日、観光局長に「禁煙にして欲しい」と頼んでいた。
すると、今日、スポーツセンターに行くと、正面に大きく「No Smoking」と書かれた看板が吊り下がっていた。
「おっ! やった〜!」と、喜んだ。
最近は、スイス国内の鉄道、街中、公共施設、その他で禁煙が法律で決まってきているので、このスポーツセンター内の禁煙も
あってもおかしくないのである。(写真参照)

さて、ニュースから・・・
『<訃報>ポール・ニューマンさん83歳=米俳優     9月27日23時25分配信 毎日新聞
 1925年、オハイオ州クリーブランド生まれ。
「明日に向って撃て!」(69年)、「スティング」(73年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)などに出演。86年「ハスラー2」で
アカデミー主演男優賞を受賞した。
  ベトナム戦争に反対するなど政治活動も展開。
当時のニクソン大統領から敵視され、73年にホワイトハウスが公表したブラックリストにも記載された。

  80年代に食品会社を設立し、利益を福祉に寄付するなど、事業家としても活動。
車好きで、カーレーサーとしても知られた。今年6月、がんで闘病中と報じられていた。  最終更新:9月27日23時33分』

『[eiga.com 映画ニュース]
 ガンと闘病中の名優ポール・ニューマンの余命があとわずか数週間であると英デイリー・メール紙が伝えた。
7月31日、ニューヨークのウェイル・コーネル・メディカルセンターから退院したところ、車いすに乗せられ、痩せこけた姿を撮影された
ニューマンは、その容態について大いに心配されてきたが、このほど彼の命が残りわずかであるという衝撃的なニュースが駆け
めぐった。

 同紙によると、病院でガンの化学療法を終えたニューマンは、残りの人生を、妻ジョアン・ウッドワードがいる自宅で過ごしたいと
希望を述べたそうだ。
「ポールは病院では死にたくない」「ジョアンや娘たちは悲嘆に暮れている」と親族の関係者が漏らしているので、事態は相当深刻な
ようだ。

 ここ数週間で遺産相続の生前分与も行われたようで、モーターレーシングチームやサラダドレッシング会社“ニューマンズ・オウン”
などは長男のニールに相続されることになったという。
ニューマンが長年愛した82番のカーナンバーのあるフェラーリのレーシングカーも手放したようだ。
ニューマンは1958年、女優ジョアン・ウッドワードと再婚して3女を、その前妻ジャッキー・ウィットの間に1男(長男ニール)2女を
もうけている。

 ニューマンはピクサー・アニメ「カーズ」(06)で俳優を引退しているが、50年以上の俳優人生の中で、「ハスラー」(61)、「明日に
向って撃て!」(69)、「スティング」(71)といった数々の名作に出演。「ハスラー2」(86)でアカデミー主演男優賞を受賞している。』
http://eiga.com/buzz/20080811/1

だ、そうだ。
おやじにとっても、多くの映画を楽しませてくれた俳優である。
良い俳優が、少しづつ亡くなって行くな〜〜〜。
スポーツセンター 禁煙の看板
2008年09月26日(金) 晴れ/曇り *** 1823
今日の午前8時の外気温は、+9℃。
今朝も寒い朝だった。
今日は事務所での仕事を行なう。

さて、日本のニュースから・・・
『王監督 監督生活に終止符…会見で「私は幸せでした」    9月23日21時43分配信 毎日新聞

  プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督(68)が23日、ユニホームを脱ぐことを決意した。
前身のダイエー時代の95年に監督に就任して14年。巨人の監督時代を含めると19年間の監督生活に終止符を打った。
「14年間、私は幸せでした」。1時間に及ぶ会見で、歩んできた野球人生を振り返った。【藤野智成】

   2年前にがんのため胃の全摘手術を受けた後も指揮を続けてきた。
「ユニホームを着てグラウンドで死ねたらいいと思っていた。元気な時は自信もあって、いくつまでもできると思っていた。
しかし手術をしてから体重も減り、術後は自分の足でないような気がする時もあった。
じれったい思いをしながら過ごした2年間だった」。気丈に振る舞ってきた王監督が、初めて闘病の労苦を語った。

   前身の南海時代から17年間Bクラスだったダイエーの監督に就いたのは95年。立て直しは容易ではなかった。
最下位だった2年目の96年には、当時の日生球場(大阪市)でファンから生卵をぶつけられもした。が、現役時代に世界記録の
868本の本塁打を残した技を伝え、小久保裕紀(36)、松中信彦(34)両選手ら強打者を育て、99、03年には日本一に。
昨季まで10年連続でAクラス入りの「常勝軍団」を築き上げた。

  59年に早稲田実高から巨人に入団して今年で丸50年。
「一つの道にどっぷりつかり、心ときめかせてきた。68歳でやれるのは幸せだったと思う。ユニホームを脱ぐと決めたものの、この
ときめきを今後はどういう形で起こしていけばいいのか検討もつかないが、一つの線を引いた」と、今なおたぎる野球への熱意も
のぞかせた。
  王監督は「福岡は第2の故郷。福岡を自由に動ける拠点として、私でやれることであれば、100%力を出し切りたい」。
広く日本野球界にも「求めがあれば、進んで協力したい」と後方支援を約束した。   最終更新:9月23日22時53分』

だそうだ。
おやじにとっても王さんは、偉大な人である。
おやじの子供時代には、当然ながら「ジャイアンツ・長島・王」であった。(長島の次に来るのが、王さんの宿命か・・・・?)
868本の本塁打は、車を運転中にラジオで聞いた。

2003年の優勝時、祝賀会が行なわれたホテルに、たまたまおやじも宿泊していた。
(同じホテルなのに、祝賀会の様子は、テレビで見ていた)
http://www.jibswiss.com/nikki-photo-2003-09-30.html

今年の4月に日本に行った際、宮崎のシーガイヤに宿泊したとき、たまたまホークスが宮崎キャンプをやっていて、シーガイヤの
ホテル・ロビーで王さんと知人の方々がお茶をしている近くで、おやじたちもお茶をした。
(だから、な〜〜んだ? と聞かれても困るが・・・苦笑)

そんなこんなで、王さんの引退は寂しいが、これも時代の流れだろう・・・・・(と、思う)
2008年09月25日(木) 晴れ *** 1822
今日の午前8時の外気温は、+10℃。
寒い。。。。
天気は良いのだが、寒い。

朝から家内と娘を車でチューリッヒ空港に連れてゆく。
今日から4日間、家内と娘はオランダの知人宅に行くためである。

スイス・インターナショナルでも今では自動チェックイン機を使って、自分でチェックインするようになっている。
通常、私はテレビ取材とか、小グループとかでは、自動チェックイン機を使わずに、カウンターに並ぶのだが(昨日は、そうだった)、
そのカウンターも人員整理で数が少ないから、結構並ぶ時間が長い。
自動チェックイン機の数も増えて、利用する客も増えたが、やはり、機械に慣れていないお年寄りとか、中高年層には難しい。
一応、ヘルプ用にスタッフが数人居て、手伝ってくれるが、飛行機をしょっちゅう利用しているビジネスマンとかなら慣れてていいが、
めったに飛行機なんかに乗らない乗客は大変だ。

今後も、ますます増えるだろうが、チェックインするにも結構時間がかかる。

日本のニュースから・・・
『麻生首相が閣僚名簿発表、34歳小渕氏が戦後最年少入閣    9月24日18時52分配信 読売新聞

  自民党の麻生太郎総裁(68)は24日夕、国会で首相指名を受け、第92代、59人目の首相に就任した。
麻生首相は同日夜に組閣を終え、麻生内閣を始動させた。
首相は財務相に財政出動に積極的な中川昭一・元政調会長を起用し、小泉内閣以来の構造改革重視から景気回復優先への路線
転換を鮮明にした。金融危機に伴う経済混乱にも機動的に対応できるように、中川財務相を金融相兼務とした。

  麻生首相は24日夜、首相官邸で記者会見し、17人の閣僚名簿を自ら読み上げ、発表した。
首相は「景気への不安、生活への不満、政治への不信があることを厳しく受け止めている。日本を明るく強い国にすることが私の
使命だ」と決意を表明した。
内閣の基本方針については、〈1〉国民本位の政策を進める〈2〉官僚を使いこなす〈3〉国益に専念する−−ことを挙げた。
人選については「適材適所だ。このメンバーで選挙を戦うことになる。(民主党と)正々堂々と戦う」と述べた。
最終更新:9月24日22時44分』

だ、そうだが。
しかし、まもなく行なわれる選挙で、体勢がもし変わったら、また日本の首相が変わるかもしれない。
たった、数ヶ月ごとに、コロコロと変わる日本の首相。。。。
あ〜あ・・・・・(タメ息・・・・・)
2008年09月24日(水) 晴れ *** 1821
今日は、テレビ取材のスタッフがスイスを離れる日である。
チューリッヒの天気は、晴れ。
まあまあ暖かい。
ホテルから空港まで車で走り、空港でチェックインのお手伝いをし、そしてスタッフの方々とお別れした。

取材スタッフは、スイス・インターナショナルを利用するのだが、なんか、若い社員って、愛想がないよね。
特に、スイス・インターナショナルは、スイス航空が倒産し、その後、子会社のクロスエアーが別会社を作って、政府や州や、色んな
企業がスポンサーになって、復活させた航空会社である。
スイス航空の倒産時には、多くの乗客が迷惑をこうむり、新しくチケットを買いなおしたり、別の航空会社に乗り換えたりした。
その後、新しい会社になっても、多くの赤字を抱えながら、航空会社もスタッフも頑張り、そしてスイス航空が好きな乗客が利用して、
やっと黒字になったのだが。
新しい社員(或いは、雇われチェックイン担当者)は、そんなことは知らないのだろう。
乗客=神様とは、言わないが、もう少し愛想よくしたらどうなんだろう。。。。
(まあ、これはスイス・インターナショナルに限ったことではないだろうが・・・)

アリタリア(イタリア)も、倒産しているし。。。。
もっと、乗客=お金を払う人=自分達の給与の源 なんだから、愛想よく対応したら、どうなんだろう。。。。
今日の空港でのチェックイン時に、おやじ達への対応をみて、そう思った次第である。。。。

午後にはグリンデルワルトに戻り、「ホッ!」とする。。。。(苦笑)
取材スタッフの方々と 自宅で「誕生日」を祝う 家族でお鍋
2008年09月23日(火) 曇り/晴れ 1820
今日は、日の出を撮るということで、早朝から展望台に上がって取材スタッフの方々は、朝日を待っていた。
(おやじは、午後の車の運転があるので、この早朝分はカット)
しかし、朝食時間の7時になって外を見ると、一面ガスの世界で朝日どころか、な〜〜んにも見えない状態だった。
(ちなみに、昨夜も外ではすでにガスで、あたり一面真っ白だったが・・・)
暫くの間、スタッフの方々と一緒に展望台でおやじも待っていたが、結局はガスは晴れず。中止に。

クルム・ホテルをチェックアウトし、登山電車に乗ってツェルマットに向かう。
ホテルや焼きソーセージ屋さんを取材し、午後1時前にはツェルマットを出発。
一路、チューリッヒに向かう。

テレビの取材も、今日が最終日。
ツェルマットでの取材が最終だった。
チューリッヒでは、最後の晩餐を有名なレストラン「ツォイグハウス・ケラー」(元武器庫)で食事する。
ところで、今日は、おやじの54歳の誕生日である。
なかなか実家で迎えることの出来ない誕生日であるが、今夜はテレビのスタッフの方々と迎えた。
(ちなみに、午前0時には娘の仁子から「誕生日お祝いのメッセージ」が届いたが・・・)

「今日の写真」を、どうぞ。

クラブ会員の方々や、知人の方々から「お祝いのメッセージ」を頂きました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
2008年09月22日(月) 晴れ 1819
今日の天気も、朝のうちはガスが掛かっていたが、それも徐々になくなって晴天に。

午前中は村の中の撮影を行ない、お昼に登山電車でゴルナーグラートに上がる。
そして、標高3100mにある「ゴルナーグラート・クルム」のホテルの撮影を行なう。

昼間は賑わうゴルナーグラートも、最終電車が出てゆくといっぺんに静かな展望台となる。
夕食も撮影したが、宿泊客は31名で、そのうち日本人客が9名居た(我々5名を除く)

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月21日(日) 晴れ 1818
今日の天気は、朝のうちはガスが掛かっていたが、その後、晴れ模様に変わった。
朝の一番からクライン・マッターホルン行きのゴンドラバーに向かう。
そして、乗り継いでクライン・マッターホルン山頂へ。(標高3883m)
天気は良いし、風が少ないので比較的暖かい天気だった。

日曜日と言うこともあって、朝からスキーヤー、ボーダー、そして登山家達の姿が多く、みんなクライン・マッターホルンへと上がって
いた。
山から下りて村の中やレストランの取材などを行なう。

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月20日(土) 晴れ 1817
今日の天気は、晴れ。
気温は低いので、寒い。
アンデルマットから郵便バスに乗車して、サン・ゴッタルド峠に向かう。
そして、デザイン・ホテルである「ラ・クラウストラ」に行く。
もともと、スイス軍の防空壕として作られた施設をホテルにしたそうだ。
しかも、予約者の客しか入れないようになっていて、ホテルの看板も何もない。
鉄製のドアーを入ると、ひや〜としたなが〜いトンネルが続く。
ホテル自体は新しいのだが、防空壕の内部なので、ちょっと・・・・・(苦笑)
その後、サン・ゴッタルド峠にある「国立サン・ゴッタルド峠博物館」を撮影。

取材終了後、一路テッシュに向けて車を走らす。
テッシュで乗り換えて、ツェルマットのホテル到着が、午後9時ごろだった。

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月19日(金) 雨/曇り 1816
今日の天気は、朝から雨模様。

ブリークを出発し、一路アンデルマット経由でオーバーアルプ峠を越えて、反対側のセドランへ。
ここからローカル電車に乗って、オーバーアルプ峠に到着。
今度は、電車を下りて、車でアンデルマット経由、ブリーク、ビスプを経てテッシュ方向へ。
氷河急行を撮影し、終了。
そこからまた、ビスプ、ブリークを経由して、アンデルマットへ。
宿泊は、アンデルマットである。
(今日1日で、フルカのカートレインに3回乗った)
1日走った割には、走行距離は約300kmである。(峠や坂道が多いので時間は掛かっているが、距離はそうでもないのである)

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月18日(木) 晴れ/曇り/雨 1815
今日の天気は、午前中が晴れ。
午後から雲が多くなって、そして夕方には小雨が降ってきた。

午前中は、ブリークの街中(旧市街)などを撮影し、お昼にはレストランでの取材を行なう。
午後には、ブリークから氷河急行に乗ってツェルマットへ向かう。

昨日の氷河急行にも今日の氷河急行にもドイツ人の年配の夫婦連れの団体さんが乗っていて、この時期はドイツ人の団体客が
多い。(日本人の団体客は少なくなった様子)

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月17日(水) 晴れ 1814
今日の天気も、晴れ模様。
しかし、気温が低い。

朝からアンデルマットの街中の撮影を行なう。
そして、車でオーバーアルプ湖畔に向かい、ここで氷河急行を撮影。
やがて、ローヌ氷河のあるフルカ峠の「ホテル・ベルヴェデーレ」にて、ホテルでの撮影を行なう。

ところで、このローヌ氷河の「アイスグロッテ」がある駐車場には、マーモットの住処が点在しているのだが、最近は、そのマーモット
のうち1匹が、やたら「人間慣れ」しているのだ。
最近までは、人間に近づいてはいたが、今日見ると、観光客の足元まで近づき、さらには、観光客が差し出す餌まで食べる始末。
観光客が差し出す餌には、果物やポテトチップスやその他のお菓子なども含まれている様子で、こんな塩分や糖分の含んだおやつ
など食べるマーモットは、きっと肥満になったり、本来の食生活とは異なるために、きっと変化が起こるだろう。。。と、思う。

そんな「人間慣れ」したマーモットは、人気者で、写真を撮ったり、餌を与えたり、、、、、である。
(おやじも、しっかりと写真を撮ったのは言うまでもない。。。。苦笑)

夜には、ブリーグにやって来て、ここで宿泊なのだが、普通のホテルが満室(?)とかで、ナ・ナ・ナント!
宿泊は、修道院のような宿泊施設だった。
(一応、2つ★クラスのホテルになっているのだが・・・)
シスターが、我々の到着(午後10時ごろ)を待っていてくれていた。
ホテルの玄関は、午後8時には閉まり(部屋の鍵を持っていれば、開けれらるが)、部屋には十字架とマリアの絵が壁に掛かって
いた。また、部屋にシャワーはあるのだが、テレビ、ラジオ、電話、ミニバー、ヘヤードライヤーなどの設備は無かった。
(もちろん、レストランなどもなかった・・・・)

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月16日(火) 晴れ 1813
今日の天気は、久しぶりに青空が広がった。

今日は、クールから氷河急行に乗って、アンデルマットへと向かう。
天気は良いし、気持ちが良い。

ライン渓谷、オーバーアルプ湖、そしてアンデルマットまでの間に、食事風景、傾いたワイングラスのこと、そして、果実酒を注いで
くれるシーンなど、撮影した。

アンデルマット到着後、市内のレストランの撮影を行なう。

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月15日(月) 1812
今日の天気も、朝から雨模様。

今日は、クールから車でランドバッサー橋方向に戻ってくる。
そして、ランドバッサー橋と、フィリズール近くのループ線での氷河急行の走りを撮る。

その後、ライン渓谷で撮影を行ない、クールの街中に戻り、州議会場にあるカリジェの大きな壁画を撮り、そして、カリジェゆかりの
ホテル・シュテルネンでの撮影を行なう。

ここには「カリジェの間」があり、沢山のカリジェの絵(オリジナル)が、飾ってあるのだ。
そのあと、元オーナーに来てもらって、カリジェとの馴れ初め、お友達のエピソードなどを語っていただいた。
(そのエピソードは、またテレビでご覧頂くことにしましょう。。。。)

夕方には、クールにあるチョコレート屋さんを取材し、工場内も撮影させてもらった。

夜には、ホテルでチーズフォンデュを食べていたら、元オーナー(78歳)が、再びやって来て、昼間のインタビューでの回答の訂正
を言われた。で、帰るのかな〜〜と、思っていたら、そのまま我々と同席し、遅い時間まで付き合ってくれた。。(感謝!)

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月14日(日) 雨/雪 1811
今日の天気は、朝から雨模様。

クールから車でレアルプにやって来て、SLのフルカ登山列車の撮影を行なう。
雨がジャンジャン降る中、レアルプ発のSLに乗車。
こんなに天気が悪くても、予約していた外人客(団体も含む)が、沢山来ていた。
今日は2本のSLが30分遅れで走ることになっており、取材チームは30分遅れのSLに乗車する。

雨が、その後雪に変わり、途中駅からは一面真っ白な景色に変わった。
(めっちゃ、寒かったぁ〜〜〜〜!!)

やがてSLはグレッチ駅に到着。
ここでの撮影も行ない、その後、ローヌ氷河の氷窟(アイスグロッテ)の撮影を行なう。
フルカ峠は、一面の大雪状態。
しかも、ガスで真っ白!
2メートル先も見えない状態の中、ゆっくりと車で下りて来る。。。。

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月13日(土) 1810
今日の天気は、朝から雨模様。
クール市内の朝市の様子を撮影する。
しかし、雨の朝ということもあって、なかなか人出が少なく、余り活気がない。
その後、雨も激しくなって一時中止。
午後には、「子供のコンサート」という催しがあって、その子供達を撮影し、そして、宿泊しているホテル・シュテルネンのレストランの
撮影を行なう。(テーマは、カリジェの絵である)

週末と言うこともあって、ホテルは満室。
なかなか盛況である。。。。。

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月12日(金) 曇り/晴れ 1809
今日の天気は、曇り空。

時々、晴れたり、雨が降ったりの、、、、天気。
サン・モリッツから氷河急行に乗って、フィリズールへ。
ここは、あの「ランドバッサー橋」の最寄り駅である。
ランドバッサー橋では、「世界遺産指定記念」の催しが今夜開かれるとのことで、その準備が進められていた。
まずは、橋の下から列車を狙い。
その後、フィリズール駅にあるホテルの部屋で撮影。
その後、再び「ランドバッサー橋」の上のポイントから狙う。
そして、クールへとやって来る。

「今日の写真」を、どうぞ。
2008年09月11日(木) 曇り 1808
今日の天気は、曇り空。
天気予報では、午後から崩れると言っていた。
(サン・モリッツでの話し・・・)

朝のサン・モリッツ駅から取材が始まる。
「氷河急行」を撮影し、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで「ピッツネイル」(標高3057m)へ。
その後、サン・モリッツ市中の撮影を行なう。

ところで、夜テレビ(CNN)を見ていたら「911」の催しがLIVEで放映された。
アメリカの次期大統領候補の2名+副大統領候補1名の3名がニューヨークの「グランドゼロ」での式典に参加している映像があった
ので、写真を撮った。
日本で言うならば、広島の原爆ドームのようなもの。
日本の総理は、記念日にはお参りしているのだろうか?・・・・・

「今日の写真」を、どうぞ
2008年09月10日(水) 曇り/雨 *** 1807
今日の天気は、曇り空で、時折小雨が降っていた。
午前8時の外気温は、+10℃。
やはり、肌寒い朝である。

今日は、日本のテレビ取材スタッフがスイスに到着する。
午前中は、準備を行ない、お昼過ぎから車でチューリッヒ空港に向かう。
午後4時前。
スイス・インターナショナルで到着したテレビクルーを出迎えて、その後、車でサン・モリッツへと向かう。

明日からは、日本テレビBS「トラベリックス」の取材が始まる。
(2〜3年前にも同じ番組の取材を行なったが、今回は2回目である)

サン・モリッツでは、夏のシーズンもすでに終わったかのように、静かな町になっていた。

スイスのニュースから・・・

『2008/09/02 - 15:26    過去最多 空を飛ぶスイス人旅行者
 スイスのリゾート村 長年の不況を終え、スイスでは自称旅行者の数が1992年以来の大幅な増加を記録した。
ザンクトガレン大学の「公共サービス・観光研究所」が発表した調査によると、国外で休暇を過ごすスイス人旅行者は増えてはいる
ものの、一番人気を維持しているのは国内旅行だという。

人気の国内旅行
 調査対象になった人の約88%が、2007年に最低1泊の旅行をしたことが調査から分かった。約1900の家庭が対象になった。
 スイス人の旅行先ナンバーワンは、これまでと同様スイス国内だった。2007年の観光市場で国内旅行が占める割合は39%
だったが、前回の2004年の調査からは4ポイント減少した。
スイスが誇る冬のシーズンが国内旅行市場を長年動かしてきたが、今回の調査では、天候によっては春と秋でも国内を動き回る
スイス人がいることが分かった。

 全体的に見ると、堅調な景気、人口統計の変化、幅広い選択肢や価格設定が2007年の調査結果の背景にあると、ザンクトガレン
大学教授で調査報告の主著者の1人であるクリスチャン・レッサー氏は言う。
「低い失業率、安定した所得、非常に良い消費者マインドという点からみると、好条件の経済的枠組みがありました。
定年を迎える人たちも多く、通常、この年齢層はほかの年齢層よりもよく旅行する人たちです」
 とレッサー氏は言い、付け加える。
「どのくらいの値段でどこに行くかということでは、非常に多くの選択肢と可能性がありました」

燃料価格の高騰で格安航空会社が1番打撃を受けるだろうと、クリスチャン・レッサー氏
 旅行者の4分の1が大掛かりな移動をした外国旅行者で、ほぼ同じ割合の旅行者が飛行機で移動した。
車で旅行する人の数は減少したが、鉄道利用者は市場の16%を占め、2004年よりその割合は増加した。
旅行の7割が1週間以内で、3週間以上の旅行は1割だった。

 調査によると、最も頻繁に旅行する人たちは、都市に住み、比較的小規模な家庭を持ち、十分な教育を受け、企業に勤める人たち
だ。また、スイス人旅行者の多くは自分で下調べや計画をするという。
ほとんどの旅行者が、家族、友人、インターネットに情報を求め、全旅行の7割を個人旅行が占めた。
ヨーロッパのほかの国と比較しても高い割合だ。

 ヨーロッパや世界中で登場している格安航空会社は、旅行者と旅行産業に発想の転換をもたらした。
「旅行が日常品になりました」
とレッサー氏は言う。

格安航空会社の運命
 しかし、燃料費の値上がりが運航状況や価格に強い影響を与えた。
世界的に見て、航空会社はクリスマスシーズンに約6000万席分の縮小を強いられるとみられる。

 国際航空運送協会 ( IATA ) によると、ジェット燃料の国際価格は1バレル135.70ドル ( 約14700円 ) に下落したという
(8月22日現在 ) 。先月と比べると20%以上安くなったが、それでもまだ昨年より57%も高い。
年間平均1バレル142.30ドル ( 約15500円 ) の燃料費で計算すると、今年1月以降のフライト総コストは昨年より910億ドル
( 約9兆9000億円 ) 高くなったという。

 格安チケットによって、以前は旅行市場の外にいた人たちが飛行機を利用して移動するようになったが、この格安チケットが最も
影響を受けるだろう。
「格安チケットは無くなるでしょう」
 とレッサー氏は言う。これまで格安チケットで旅行をしていた人たちは家で過ごすようになるだろう。

一方で、金銭的に余裕のある人は、引き続き旅行をすると見込まれている。
このような富裕層のルート ( 例えばチューリヒ発シドニー行き ) への燃料価格の影響は、格安チケットで飛ぶ人に比べて比較的
小さく、需要もそれほど大きく変化することがない。
また、富裕層の旅行は職業上で築かれた関係やそこで受ける影響に左右される。
「全旅行の約2割は、旅行者個人がはぐくんでいるソーシャルネットワークによって決定されています 。
ここ数年でこの傾向は増加しています。誰かに会いに行くために旅行をする人たちです」
 とレッサー氏は言う。故郷を離れて働く人が増えるほど、この傾向はますます強まるという。
次の調査は2010年におこなわれる予定だ。

旅行スタイル
スイス人旅行者は忠誠心が強いとレッサー氏は言うが、人口約750万人のスイスは、特別スイス人が好む旅行先を特定できるほど
大きい国ではない。冒険好きのように見えるが、ほとんどの旅行者はリピーターだとレッサー氏は言う。
例えば、オーストラリア東部を訪れるスイス人旅行者の約7割は、以前にも訪れたことがある人たちだ。
全体的に見て、スイスの近くに滞在する旅行者が増え、隣国への旅行が好まれている。
スイス人は快適な旅を好む。
昨年、スイス人旅行者の4分の1が4つ星または5つ星ホテルに滞在し、一昨年より7ポイント上昇した。』

だ、そうだ。
ガソリンの高騰の中、一般のスイス人も、旅行にお金を節約するようだ。。。。
2008年09月09日(火) 晴れ *** 1806
今日の天気は、曇り空。
午前8時の外気温は、+10℃。
少々寒い朝である。

さて、スイスのニュースから・・・

『2008/08/27 - 15:25    F1レーサーは スイスが好き 
 F1のトップレーサー22人の過半数がスイスに住んでいる。
彼らがスイスをすみかとして選ぶのは、税金対策だけが理由ではないと、元レーサーのマーク・ズーラー氏は言う。
カメラ、レポーター、ファンにもみくちゃにされるレーサー。
ルイス・ハミルトンが勝利の1周でティーンエージャーのように「ヒッヒー」とヘルメットの中で笑う姿。
フェリペ・マッサが確実だと思っていた勝利を逸し、鬱憤 ( うっぷん) 晴らしにジャーナリストを手荒く追いやる姿。
これらすべてがテレビカメラやマイクロフォンを通して世界中に報道される。

ネオ・スイス人
 最高に危険を伴うスポーツであるF1は、怪しげな魔力をかもし出す一方で、ハードなビジネスの場でもある。
レーサーとそのチームは2週間おきにこうした世界に身を置く。だからこそ、レースが終わったら心の休まるオアシスが必要なのだ。

憩いをスイスに求めるレーサーは多い。
例えばルイス・ハミルトンは前シーズンに、ブリティシュアイランドからジュネーブ湖畔に引っ越してきた。
世界1位のキミ・ライコネンはすでにシュヴィーツ州ヴォレラウ ( Wollerau )に住んでいる。ライコネンの近所にはフェリペ・マッサの
家もある。フェルナンド・アロンソはヴォー州のモンシューロル ( Mont-sur-Roll ) に居を構え、ハンガリーで100回目の優勝を果た
したハイキ・コバライネンも同州にあるコペで憩いの一時を過ごす。

 「レーサーにとって、安全が保障されていることがまず魅力です。税制面は二の次です」
 と元レーサーのマーク・ズーラー氏 (57歳) は言う。
ズーラー氏はスイスドイツ語放送のコメンテーターとして、いまだにF1の事情に通じている。
例えばフェルナンド・アロンソは、スペインに住むことはもうできないという。
「彼の家と両親の家は ( 関係者に ) 包囲されてしまいました。ファンやレポーターを逃れてレストランに行くこともできない状態です。
スイスなら誰からも邪魔されません。生活の静けさを、レーサーは重視します。ミヒャエル・シューマッハーも同じですね」
 とズーラー氏は説明する。

 スイスのサウバーチームに所属していたロバート・クビサは現在BMWの傘下となったザウバー ( Sauber ) の本社があるチューリ
ヒ州ヒンヴィル ( Hinwil ) に、またクビサの同僚ニック・ハイトフェルトは隣町のシュテファ ( Stafa ) に住む。

スイスで充電
 ハイトフェルトは、スイスに引越しする理由について「喜ばしい副産物」として税金制度を挙げるものの、第1に生活の質が高いこと
だと言う。チューリヒ湖畔に住む人たちは非常に控えめで、邪魔をしないからだ。
「重なる旅の疲れとストレスがあるので、家に帰ることが嬉しい。家でレーサーととしてのエネルギーを充電できる」
 ハイトフェルトはこう語る。

 そのほかにもスイスを選ぶ理由はあるとズーラー氏は指摘する。
「多くのレーサーは飛行機で世界各国を回っている。空港が近くにあるということも利点」
 移動しやすいという点でも、レーサーはジュネーブやチューリヒを生活の拠点に選ぶのだという。

スイスから浮気をする人は少ない。
イタリア人レーサー、ヤルノ・トゥルーリはベルニーナ峠のポントレジーナ ( Pontresina ) に住む。
ドイツ人エイドリアン・スーティルは何の変哲もないゾロトゥルン州のエンジンゲン ( Oensingen ) を選んだ。

トレーニングにも適する
 レーサーにとって以前は、モナコが重要だった。
カジノからの税収のおかげで、市民は無税で生活できる国だからだ。
海のリゾートでもあるモナコよりスイスに魅力があるとすると、それはスイスが持つ美しい風景とレーサーに要求されるトレーニング
の場を、身近に与えてくれるからだともいわれる。
 「レーサーは毎日のトレーニングプログラムをこなさなければなりません。山と牧場があるスイスは、理想的です」
 とズーラー氏は言う。モナコではスポーツジム以外にトレーニングができる場所は無く、山まで車で行かなければならない。

 スイスで山にトレーニングに行くレーサーはバーニー・エクレストンくらいのものか。
小柄なイギリス人でF1の全権を握っている億万長者は、クシュタート ( Gstaat ) に居を構える。ホテルも所有する。
F1が無い週末には、家で飼っている羊の世話をするらしい。

スイスに住むF1レーサー
キミ・ライコネン ヴォレラウ / シュヴィーツ州
フェリペ・マッサ 同上
ルイス・ハミルトン ルアン / ヴォー州
ハイキ・コバライネン コペ / ヴォー州
フェルナンド・アロンソ モンシューロル / ヴォー州
デイビッド・クルサード ヴィラール / ヴォー州
ニック・ハイトフェルト シュテファ / チューリヒ州
ロバート・クビサ ヒンヴィル / チューリヒ州
ヤルノ・トゥルーリ ポントレジーナ / グラウビュンデン州
セバスティアン・フェッテル ヴァルヒヴィル / ツーク州
エイドリアン・スーティル エンジンゲン / ゾロトゥルン州
セバスチャン・ブルデー モルジュ / ヴォー州
ミヒャエル・シューマッハー グラン / ヴォー州

これら外国人レーサーには税優遇措置が適用される。
税優遇措置の対象となっている約4000人のスイス在住外国人の納税総額はおよそ3億フラン ( 約300億円 )に上る。

スイスとF1
スイスでは1955年にF1は禁止された。
しかしF1との関係は、ペーター・ザウバー氏のおかげで深い。
ザウバー氏は2007年にF1チームをBMWに売却し、以後BMWザウバーとしてF1に参加している。
本社はヒンヴィルにあり、420人の従業員が働く。年間売上高は5000万フラン( 約50億円 ) 。
ペーター・ザウバー氏引退後、スイス人レーサーの成績は振るわない。』

だ、そうだ。
さすが、スイス。ハリウッド・スターが住むのは過去の話し。
今は、F1レーサー達がスイスに住んでいるそうだ。

ニュースは、こちらから。
http://www.swissinfo.org/jpn/front.html?siteSect=107&sid=9584981&cKey=1219899580000&ty=st
2008年09月08日(月) 晴れ *** 1805
朝の6時30分。
お客様を、車でチューリッヒ空港までお連れする。

今日の天気は、晴れ。快晴である。
(ただ、途中ではガスなどもあったが。。。。)

チューリッヒ空港でチェックインのお手伝いのあと、仕事は終了。
グリンデルワルトへと戻ってくる。

我が家には、小さいながらも「畑」がある。
この春に、日本から色んな野菜の種を買ってきて撒いていた。
普段、私は不精なので何もしないが、家内は時間を作っては、手入れしていた。
だいぶ前には、大根が出来ていた。
「マイ・ダイコン」と家内は言って、家族で食べたが、なかなか美味しかった。
そして、今日は「いも」を掘り出した。
沢山出来ていた。形はマチマチだったが、しかし家内の「マイ・イモ」である。(笑)
量が多かったので、スタッフにもおすそ分けした。
明日あたり、食卓に並ぶだろうか。。。楽しみだ。

まあ、日本の某さんの菜園(畑)には、全然足元にも及ばないが、しかし、植物を育てるのは意外と(?)楽しいものである。
(ますます、おやじになってきたのかも・・・・? 苦笑)
他には、たまねぎ、トマト、白菜、レタス、ねぎ、枝豆なども植えたが、半分は駄目だった。
来年は、もっと頑張ろう〜〜〜

家庭菜園の専門家の方々、色々と「うんちく」がありそうですので、もし「うんちく」あれば、ぜひともお教え下さい。
来年の勉強にさせていただきたいと思いますので。
よろしくお願いします。(ペコリ)
家内の作った「マイ・イモ」
2008年09月07日(日) 晴れ *** 1804
今日の天気は、晴れ。
お休みの日。

夜には、おやじの事務所で昔に働いてくれたスタッフ(女性)が訪ねて来てくれた。
弊社で働いたのは確か2年ほどだが、その後日本に戻り、昨年めでたく結婚し、今回は10年ぶりに訪ねて来てくれたのである。
昔のスタッフがこうして再び訪ねて来てくれるのは嬉しいものである。

おやじ達が「グリンデルワルト日本語観光案内所」を始めてから、すでに25年近く。
おやじの事務所で働いてくれたスタッフの数は、おおよそ80名以上。(正確には数えていないが、今度数えてみよう・・・)
「グリンデルワルト人材育成センター」という別名(?)があるくらい、多くの若いスタッフがおやじの事務所で働いてくれた。

その後、立派に出世したスタッフも居るし、仕事中に突然に蒸発したり、家出したスタッフも居る。
また、おやじの事務所をやめてから悪口三昧を言いふらす元スタッフも居る。
更に、「グリンデルワルト日本語観光案内所」で働いていたことを、あえて隠す元スタッフも居る。

おやじは、「グリンデルワルト日本語観光案内所」で働いていたことを誇りに思ってもらいたいと思うのだが、なぜかこれを隠したり、
している。
今業界で活躍している元スタッフにも「グリンデルワルトで働いていた」「グリンデルワルトでガイドをしていた」とかの表現だけで、
あえて「グリンデルワルト日本語観光案内所で働いていた」ということを、記載しない元スタッフもいるが、不思議で仕方ない。
おやじは、「グリンデルワルト日本語観光案内所」を、人様に言えないような職場だとは思わないし、自信を持ってやっているのだが。
どうしてなんでしょうね・・・

そのうち、「グリンデルワルト日本語観光案内所で働いたスタッフ達」というタイトル(仮題)でもつけて、過去を暴きますか!?(苦笑)
な〜〜んて、ね。
スタッフのみんなと家族
2008年09月06日(土) 晴れ *** 1803
今日の天気は、薄く晴れていた。
午前8時の外気温は、+13℃。

今日は、久しぶりに団体客(と言っても、10名だが)をご案内してユングフラウヨッホに登山電車で上がる。
クライネ・シャイデックやアイスメールまでは視界もよく、景色は見えていたが、ユングフラウヨッホまで上がってしまうと、外は真っ白
なガスの世界。
今日は、アルプス南側は天気が良くなく、北側でも徐々に天気が崩れる、、、、という予報だった。

クライネ・シャイデックでは、「第16回ユングフラウ・マラソン大会」のゴールがあるので、賑わっていた。
インターラーケンのホテル・ヴィクトリア・ユングフラウ前(標高567m)を出発し、クライネ・シャイデック(標高2061m)までの高山
フルマラソンである。
今回は、43カ国から4073人の選手が参加したそうで、1500人のボランティアが働いたそうである。(我が家の娘もその1人だが)

結局、男子はJonathan Wyatt 氏で、2時間55分32秒で優勝。
女子は、Anita Hakenstad Evertsen さんで、3時間23分05秒で優勝である。
しかし、一般道と違っての登山マラソンで2時間55分とは、、、、早いね〜〜。

「ユングフラウマラソン」の記事は、
http://www.echo-von-grindelwald.ch/artikel/?cq_*5c33f249=ivxPU=879876np
ホテル・ヴィクトリア・
ユングフラウ前を出発
男子優勝した Jonathan Wyatt 氏 女子優勝者
 Anita Hakenstad Evertsen さん 
2008年09月05日(金) 晴れ *** 1802
今日の天気は、晴れ模様。
午前8時の外気温は、+13℃。
天気予報では悪かったのだが、フェーン(南風)が、吹き上げているようだ。

スイスのニュースから・・・
『2008/09/03 - 15:26    日本人とインド人の次は アラブ人

 これまでジュネーブ湖畔を訪れていたアラブ諸国の旅行者の目は今、ベルナーオーバーラントに向いている。
インターラーケンでは、今年1年間でアラブ諸国からの観光客の宿泊数は1万6000泊になると算出されている。
今後さらに3万泊まで伸びる可能性を含んでおり、宿泊総数は400万泊になると見られる。
アラブ諸国からの観光客は急増しており、2006年と2007年の2年間で8割増を記録し、2008年も5割は伸びる見込みで、
今後も有望だとインターラーケン観光局のシュテファン・オズ局長は期待する。

swissinfo : アラブ諸国からの観光客の波が押し寄せていますが、良いことでしょうか。
オズ局長 : 基本的には非常に良いことです。2003年からアラブ諸国と集中して協力しています。
         急に増加したわけではなく、年々増えています。新しい市場であり、好ましい観光客です。
         比較的長期間滞在をしてくれますし、お金もほかの国の人より多く落としてくれます。

swissinfo : アラブ諸国の観光客に合わせたサービスを提供していますか。
オズ局長 : ここ2年間で伸びてきた市場なので、施設などの変化はまだ見られません。
         ホテルのサービスは一部、変化しています。4つ星、5つ星のホテルでは特別な食事を提供しています。
         また、あるホテルでは、プールを夜10時以降は、ほかの人に邪魔されずに使ってもらうため、アラブ諸国の女性専用
         に解放しました。
         アラブ諸国の観光客用に、商店街の営業時間を配慮したり、夜間の遊覧船運行なども検討中です。

swissinfo : 住民の反応はいかがでしょうか。
オズ局長 : もちろん、アラブ諸国の旅行者は町で目立っています。
         特にベールを被った女性は目立ちますが、インターラーケンでは大きな問題にはなっていません。

         観光地では、旅行者に波があることに慣れています。20年前は日本人でした。
         当時は、インターラーケンにとっては非常に目新しいことでした。その後インド人が来て、中国人が来ました。
         そして今はアラブ人です。

         現在のところホテルでは問題はありませんが、ホテルにとってはチャレンジであるとも言えます。
         アラブ諸国の旅行者の慣習に敏感になってもらうための教育が必要かと考えています。

swissinfo : アラブ人にはどのような場所が気に入られていると思いますか。
オズ局長 : 湖、雪を被った山、青々とした牧草地、牛、アルプホルン、チーズですね。
        一種の世代交代があったとわたしは感じています。
        何世代にもわたって、レマン湖地方、モントルー、ローザンヌ、ジュネーブなどがアラブ諸国の旅行客に人気でした。
        彼らは家を買って、定期的に訪れていました。今の世代の人たちは、別な物を求めています。
        レマン湖地方は知っているので、ほかの場所を発見したいと思い、ここが気に入ったのでしょう。』

swissinfoのページ
http://www.swissinfo.org/jpn/front.html?siteSect=108&sid=9623319&cKey=1219914496000&ty=st

だ、そうだ。
確かに、インターラーケンでは、日本人が去った(グリンデルワルトなどの山間部に宿泊し始めた)あとは、韓国人やインド人が多く
なり、最近では中国人やアラブ人の姿が目立つ。
ユングフラウヨッホ観光帰りにグリンデルワルトに立ち寄るアラブ人姿も多い。

インド人が多くなった頃、グリンデルワルトで受け入れたホテルやバスの運転手がこぼしていた。
「インド人はいやだ。すぐに汚すし、ゴミは捨てるし、いやな臭いは残るし、あとの掃除が大変だ・・・・」と。

日本人は大正時代以降、紳士的な登山家達との交流でグリンデルワルトでの日本人のイメージは良い。
その後の、団体旅行でも、個人旅行でも一概に日本人の評判は良い。
(最近は、どうなんだろう・・・・おやじの個人的な意見では、変な日本人も少しは来るが。。。。おやじのことか、なぁ〜? 苦笑)
2008年09月04日(木) 曇り/小雨 *** 1801
今日の天気は、曇り空。
時々小雨も降っていた。
午前8時の外気温は、+13℃。
肌寒いな〜〜〜〜〜。

日本のニュースから・・・
『4人で争う様相=伊吹派は麻生氏支持−自民総裁選   9月4日20時9分配信 時事通信

  自民党総裁選は4日、伊吹派が役員会で麻生太郎幹事長の支持を決定。
出馬の意向を表明した与謝野馨経済財政担当相は準備を本格化させた。
出馬に意欲を示す小池百合子元防衛相と石原伸晃元政調会長も20人の推薦人集めを進めており、4人による争いの様相となって
きた。
  第5派閥の伊吹派は4日午後、会長の伊吹文明財務相や中川昭一元政調会長ら幹部による役員会を開き、派としての候補擁立
を見送るとともに「麻生氏支持を総意とする」ことを決めた。
ただ、各議員の選挙区事情を考慮し、メンバーの投票行動は縛らないことも確認した。
党内8派のうち、麻生氏が所属する麻生派以外で同氏の支持を決めたのは、伊吹派が初めて。 最終更新:9月4日21時10分』

だ、そうだ。
う〜〜〜〜ん。
誰がなっても同じような感じ。
また、すぐに辞めるんじゃないのかな〜〜〜。
そんな雰囲気もありそうだ(?)。
2008年09月03日(水) 晴れ *** 1800
今日の天気も、晴れ。
(午後には、雲が増えていたが。。。。)

今日も、フィルストのチャペルでの結婚式。
参列のご家族、ご親戚が多かった。

ところで、日本のニュースから・・・
『福田首相辞任:4月から「辞めたいなあ…」

 福田康夫首相の退陣表明から一夜明けた2日、首相の存在は忘れられたかのように総裁選への手続きが進んだ。
首相はマスコミとは接触したくないと、記者団との「ぶら下がり取材」を拒否。心の動揺は隠し切れなかった。
退陣会見は突然のものだったが、首相にはすでに今年4月から退陣の2文字が頭をよぎっていた。
首相が後見人でもある森喜朗元首相に辞意を漏らしたのは、改正租税特別措置法の衆院再可決を前にした今年4月だった。

 大連立構想の破綻(はたん)に始まり、日銀総裁の空席、ガソリン税の暫定税率失効と「ねじれ国会」にくたびれ果て、
「辞めたいなあ。もう外遊もしたくないよ」と、森氏に赤裸々に語っていた。
 首相は、4月末から5月の大型連休にかけて予定していたロシアとイギリス、ドイツ、フランスの欧州3カ国訪問を取りやめたいと
漏らした。
 ロシアとのパイプが深い森氏は「少なくともロシアだけは行くべきだ」と説得した。
 その結果、首相は欧州3カ国歴訪は見送ったものの、ロシアには出向き、メドべージェフ、プーチンの新旧大統領と会談した。
 森氏らは、北海道洞爺湖サミットが終了後、声高に内閣改造熱をあおった。

 森氏は福田首相が内閣改造(8月1日)を断行する半月ほど前の7月中旬、周辺にこう語った。
「おれは福田さんの背中を押してやるだけだ。自前の内閣を作って、9月までしか持たないかもしれないが、そこまでは頑張って
ほしい」
 人事を断行しても支持率は低迷。身内の公明党からも揺さぶられ、臨時国会の乗り切りは誰の目から見ても容易ではなかった。

 森氏が首相から、退陣表明の連絡を受けたのは1日午後7時半過ぎ。緊急会見のわずか2時間前だった。
2人の関係からすれば水くさいものだ。
 驚いた森氏は「待て。慌てるな。これから官邸に行く。話し合おう」と電話口で食い下がった。
 首相はきっぱり拒否した。「来なくていいですよ。もう遅い。記者会見をすでにセットしたから」
 決断できないリーダーと言われた福田首相の最後の決断だった。

(後略)
毎日新聞 2008年9月3日 2時30分(最終更新 9月3日 2時30分)』

だ、そうだ。

アメリカでは丁度、大統領選挙の真っ最中。
アメリカでは、1年も2年も前から大統領候補を選び始め、国民が一丸となって、まるでお祭りのような騒ぎで、自分の国の大統領
を決めている。
候補者本人も、アメリカ国内を回っては、国民と対話し、テレビにも出て、
「大統領には、私しかいない〜〜!」と、声高らかに宣伝し、まだ大統領になっていないにもかかわらず、イラクや中東や、ヨーロッパ
に出かけては、それぞれ主要国の大統領や首相と会談している。
それに引き換え、わが某国では、同じ政党内でのたらい回し、首の付け替え、「今度は、お前がなればいい・・・」みたいな感じで
決めたあと、「しんどいから、やめた〜い」と、まるで駄々っ子のように、短期間に次から次と辞職してしまう。

一体、なんちゅう国やねん。なんちゅう政治やねん。なんちゅう政治家やねん。
情けない。。。。
2008年09月02日(火) 晴れ 1799
今日の天気も、晴れ。
午前8時の外気温は、+13℃。

今日は、フィルストのチャペルでの結婚式。
天気が良いので、良かった〜良かった〜〜。

ところで、ニュースから・・・
『海外在留邦人数は2%増の108万5671人、中国の伸びは一段落        [掲載日:2008/09/03]
   
 外務省によると2007年10月現在、3ヶ月以上海外に在留する在外邦人数は、前年比2.07%増の108万5671人であった。
海外在留邦人数の多い国は、アメリカが37万4732人(前年比1.17%増)で最も多く、次いで中国の12万7905人(1.98%増)、
英国の6万3526人(4.57%増)、オーストラリアの6万3459人(7.04%増)、ブラジルの6万1527人(5.05%減)と続く。
都市別では、ロサンゼルスが6万1336人(3.57%増)、ニューヨーク都市圏が5万1705人(15.74%減)、上海が4万7794人
(8.65%増)、バンコクが3万1616人(5.67%増)、ロンドンが2万8787人(8.23%増)となっている。
このうち、国別、都市別とも、邦人数が急激に伸びていた中国方面については、伸び率の上昇が一段落する傾向があるという。
一方で、絶対数は少ないものの、中東、アフリカ地域が15%増と大きな伸び率を示している。』

だ、そうだ。
スイスには、多分2万人位の日本人が住んでいると、昔聞いたことがあるので、今でもそんなもんだろうか?
それとも、日本企業(事務所)の撤退で、減っているかもしれない。
しかし、世界中に住んでいる日本人の数が、108万人とは、凄い数字だな〜。

「今月の写真」を、どうぞ。
2008年09月01日(月) 晴れ *** 1798
今日の天気は、晴れ。
午前8時の外気温は、+13℃。

午前中は、事務所での仕事を行ない、午後には、車でチューリッヒ空港に向かう。
午後7時30分到着の便なのだが、これがフライトキャンセルになったので、別の便に変更中と、お客様から電話連絡があった。
(最近は、日本から海外用の携帯電話を持参されるお客様が多くなったので、緊急連絡など、すぐに連絡が取れるので便利に
 なったもんだ・・・)

つぎの便を調べてみると、午後10時20分着の便しかない。
すると、空港での待ち時間が3時間もある。
もともと、1時間前に到着しようと空港に向かっていたので、正味4時間待ちとなるのだ。。。。(あ〜あ・・・・)

テレビ局の取材でも「なるべく直行便を使ってください。乗り換え便だと、乗り換え時に荷物が積み込めずに、届かない場合も
多いので・・・」と、必ずお願いしているのだが、それでも運賃面で安い便を利用するケースもあり、やはり届かない場合もあったの
だが。

これは、個人客も同様で、金額だけを比較して安い便を使っても、結局乗り換え便が遅れて、乗換えが出来なかったり、荷物が
出てこなかったり、、、と、いう問題が出てくる場合も多い。
スイスへの直行便は、現在スイス・インターナショナルと、全日空(スイス・インターナショナルとのコードシェア便)がある。
但し、成田からしか飛んでいないが。。。。
その他の航空会社だと、必ず、どこかの都市で乗り換えなければならない。
スムーズに乗換えが出来ればいいが、何か問題が生じると、その国で自分で対応をしなければならない。
日本人スタッフがいるかどうかも、不明である。
言葉が出来ればいいが。。。。

だから、運賃だけの比較ではなく、いかに早く、スムーズに目的地に着けるか。。。。
これは、精神的、肉体的にも、考える余地は多いと、思う。
特に、お年寄りや、小さなお子様が居る場合などは、絶対に考えるべきものだと、おやじは思うのである。

日本国内の乗り換えであれば、日本語で全て用が足りるし、日本人同士で何とかなるが。。。。
外国の空港では、なかなかスムーズに行かない。
だから、おやじは、スイスに行くときは、スイスへの直行便の利用をお勧めするのである。

午後10時15分ごろ、お客さまは到着したが、疲れきった様子。
自宅から日本の空港に数時間。そして、日本の空港から12時間飛行機に乗ってやって来て、乗り換え空港で3時間も待って、
更に1時間30分掛けて、チューリッヒ空港までやって来たのである。
そして、ここから車で更に2時間30分も走るのだ。

スイスへの到着時間が夕方でも早い時間なら良いが、夜の遅い便だと、チューリッヒなどに宿泊されるのが良いかも知れない。
(もし、万が一、飛行機が遅れたり、荷物が届かない場合などを考えて・・・)

結局、グリンデルワルトのホテルに到着したのが、午前1時30分だった。
完全に疲れきったお客様方。
見ていて、気の毒である。。。。。