おやじの つぶやき

グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、
行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。
この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
(但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来てくださいね)

また、「写真クイズ」などの回答は
「ここ」へ回答をお送りください。
なお、  をクリックして頂くと、写真が御覧頂けます。
「おやじのつぶやき」(2005年01月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2005年03月分)

2005年02月28日(月) 天気は 晴れ *** 0600
今日の天気は、朝から晴れた。
しかし、非常に寒い朝で、ユングフラウヨッホの気温が、マイナス20℃とか。。。。
グリンデルワルトでも、寒いと感じた。

事務所に手紙が届いた。
チューリッヒに住む日本人ガイドさんの奥様からだった。
「○○○は、去る02月23日。亡くなりました」という知らせである。
ショックだった。
○○○さんとは、よくチューリッヒ空港でも会っていたし、おやじの会社からもよく仕事をお願いしていた知り合いである。
そんな彼が、先月亡くなったとは。。。。
そんなに重い病気になっているとも、知らなかった。

別のガイドさんからの話しでは、
彼の入院が決まったので、その前にと、1月に皆で食事を共にしたと言う。
その後、彼は入院。しかし、4週間目に彼は天国に行ってしまった、という。
病名は肺がん。
しかも、末期で体中に転移していたという。
まだ63歳。若いのに。。。。。。
おやじは、ショックである。
ご冥福をお祈りする。
2005年02月27日(日) 天気は 曇り/雪 *** 0599
今日の天気は、うす曇りの天気だった。
そして、徐々に天気は下り坂となり、午後には雪が舞い始めた。

昨夜「ミュージック・スター2005」の決勝戦で惜しくも2位となった”グリンデルワルトの星ダニエル君”が、グリンデルワルトに
凱旋帰村することになっていた。
駅前駐車場には、すでに昨日から舞台などが作られていた。
午前中はまだうす曇りだった天気が、午後から崩れ始め、やがて雪模様になった。
果たしてダニエル君は、ヘリコプターに乗ってやって来るのだろうか?
午後3時。駅前駐車場には多くの観客(?)が集まって来ていた。
バーゼルのファスナハトで演奏するバンド、グリンデルワルトの吹奏楽団の演奏が続き、「ダニエル・ファン・クラブ」の会長が
司会役で舞台を盛り上げる。雪は益々激しく降り始めた。
で、午後4時。赤いヘリコプターが見えてきた。歓声を上げる観客達。
で、ヘリコプターは、駅前駐車場の狭い場所に着陸。
(このへんが凄い。スイスのパイロットの技術に感嘆する。日本だったら「危険ですから、半径何m以内には近づかないように!」
などのアナウンスがしつこく繰り返されたり、係員が大勢来て「なんだかんだ」と言うだろうに。そして、パイロットも嫌がるんじゃ
ないだろうか。こんな狭い場所に着陸すること自体に。。。。。)

さて、舞台に立ったダニエル君。グリンデルワルトのスチューダー村長に
「君は、グリンデルワルトの星だ!」などとベタ褒めされ、村長と一緒に「グリンデルワルト・リード」(グリンデルワルトの歌)を唄い
そして挨拶。
「勝ってこられたのも、全てグリンデルワルトのみんなのお陰で〜す!」と、みんなに感謝。
最後は「ミュージック・スター」で唄った歌を”生”で披露してくれたが、風邪を引いているらしく、ひどい歌声だった。(笑)
(高音が出なかった)
すると、ダニエル君はすかさず
「テレビでは、毎週口パクで歌っていなかったんですよ!。生で唄っていたんですよ!」とジョークを飛ばす。
最後にダニエル君は、
「最低でもあと2年間、僕はグリンデルワルトに居ます!」と宣言していた。
その後、もし歌などがヒットすれば多分、チューリッヒへ行くだろう。或いは、アメリカへ行くかもしれない。
(ちなみに、母親はアメリカ人で現在アメリカに住んでいる。父親はグリンデルワルトの人だが、すでに離婚している)

最前列に陣取る小学生、中学生達にサインをするのだが、まさにスイスのスターである。ボディーガードがダニエル君の両サイド
に1名づつ居たし、今度の火曜日に「ミュージック・スター2005」総集編の番組があるので、その撮影班も同行取材。さらに、雑誌
記者や新聞記者たちの姿もあった。
そしてメインストリートをパトカーが先導し、カウベル軍団を先頭にパレードが行なわれた。駅前駐車場からホテル・サンスターへ。
そして、ホテル・シュピンネへ。
今夜は、遅くまでホテル・シュピンネの地下にあるディスコで、みんなで騒ぐとの日程になっていた。

今日の駅前駐車場に集まっていた観客の数は、約1500人くらいではないだろうか。
人口4000人の村だから、40%ほど集まっていた事になるが、ただホテルやお店などは仕事中なので、地元でも来れなかった
人も多いだろう。逆に、観光客や滞在客が多く来て居たかも知れない。

なお、夜のスイス・テレビのニュースでは、優勝したサロメちゃんのパレードと祝賀会の様子が報告されていた。
(サロメちゃんは、ブリークの近くの町の出身である)

おやじは、ビデオで撮ったのでデジカメの写真は少ない。お許しを。
サインするダニエル君 カウベル隊を先頭にパレード 真ん中にダニエル君
2005年02月26日(土) 天気は 晴れ 0598
今日の天気も朝から晴天だった。
今日はおやじはお休みなので、朝はゆっくりと起きた。(ただ昨夜は休み前だったので、遅くまでビデオを見てしまったが)

村の中は、毎日の晴天で、しかも週末なので人出も多く、賑わっていた。
駅前のホテル・セントラルヴォルターとメンストリートの中央あたりにあるホテル・シュピンネには、”グリンデルワルトの星ダニエル
君”の大きな垂れ幕が掛かっている。そこで、写真を何枚か撮った。
今夜、待ちに待った「スイスのスター誕生」こと「ミュージック・スター2005」の決勝戦が、チューリッヒのスイステレビの放送局で
行なわれるのである。何千人の応募があり、そこから延々と3ヶ月以上の期間を掛けて勝ち残ってきた3人。その中から1人が
優勝するのである。
番組ではまず、勝ち残ってきた3人がそれぞれ唄う。審査員の審査、会場の得点。そしてスイス国内からの電話投票。
3人の地元からの生中継もあった。
グリンデルワルトでは、ダニエル君が働くホテル・シュピンネのエスプレッソ・バーからの中継である。

結局、クラウディアという女性が負け、グリンデルワルトの星「ダニエル君」は勝ち残った。やったー!
ダニエル君は、3人の中でもスター性があり、歌もうまいし、マスクも良い。
引き続き、2回目の歌を2人が歌う。ダニエル君は自作の歌をギターを弾いて歌った。
審査員、会場の得点。どちらもダニエル君の方が高得点だった。
間違いなくダニエル君が優勝すると、おやじも家族もみ〜んなが思っていた。
おやじの家でも4台の電話を使って投票する。(電話代金の請求書がこ・わ・い・・・)
で、結果発表は。。。。
ナント、サロメちゃん(バレー州出身の女性)が、優勝してしまった。
「え〜〜ナンデ〜〜?」とは、おやじの家の中の声、声、声、声。(4人分)
今までの番組の中でも、ず〜と高得点で、毎回トップだったダニエル君。
今夜も、サロメちゃんの歌はイマイチで、審査員も「今夜の君の歌はよくない」と批評されていたのに。
その点、ダニエル君の批評は良く、今夜もトップだったのに。。。。。
ナ〜ンデ、負けるの?
単に、電話の数だけ? 本当かいな?
でも、その電話の数、公表しないんだよ。。。。
絶対に、この番組、インチキ臭いとおやじは 思う。
(地元ひいきを差し引いても、前回も同じようなことがあったし、絶対におかしいよ。これ)
テレビ局に抗議すべきだよ。公平さがない、って・・・・。

なお、明日は、午後3時にダニエル君はヘリコプターに乗ってグリンデルワルトへ凱旋帰村する。
駅前駐車場にヘリコプターで降り立つ。
駅前駐車場はすでに、明日の準備がしてあり、ここの舞台で村長たちからの祝福のメッセージを受け、ダニエル君は話しをして、
午後4時からメインストリートをパレードする事になっている。すごい。
やはり、ダニエル君は”グリンデルワルトの星”である。

ちなみに、今夜のチューリッヒの会場には、専用バスで乗り付けた「ダニエル・ファン・クラブ」の中に、村長と観光局長の姿も
あった。
「写真」をどうぞ
2005年02月25日(金) 天気は 晴れ *** 0597
今日の天気は崩れる様子はなく、朝から晴天だった。
外気温はまだ冷たいと思うのだが、太陽が山肌から姿を現すと、いっぺんに道路などの雪は溶け始めていた。

さて、日本のニュースから・・・
『 社会ニュース - 2月25日(金)12時54分      ポートピアランド閉園へ 神戸市、来年3月に
  神戸市は25日、同市中央区で運営している遊園地「神戸ポートピアランド」を2006年3月末で閉園する方針を明らかにした。
施設の老朽化が進み、ここ数年の入園者数もピーク時の4分の1に落ち込んでおり、同市みなと総局は「入園者の回復は
見込めない」などと判断した。今年3月に土地(約4・4ヘクタール)の売却先を公募し、企業誘致を目指すという。
 ポートピアランドは1981年の神戸ポートアイランド博覧会の終了後、跡地に開業。阪急電鉄が運営し、ピークの1991年には
約160万人の入園者があった。      (共同通信) - 2月25日12時54分更新』

日本の遊園地って、すぐ駄目になるね。
最近は遊園地とは呼ばず「テーマパーク」と言うんだろうけど。。。
で、なんですぐに駄目になるか?
原因は 何だろう?
日本にある外資系のディズニーランド、ディスニーシー、そしてユニバーサル・ジャパンは黒字で、その他のオリジナル日本産の
テーマパークはことごとく赤字である、という記事を過去に見た事がある。
長崎のオランダ村も一旦倒産したものの、最近になって別の会社が買い取り、再出発したというが、これはマレな方で、殆どの
テーマパーク(あえて、遊園地と言いたい)は、潰れている。
原因は、何だろう?
原因は、「つまんない」のである。
まず、ポリシーがない。
バブルの勢いで増えた遊園地がゆえに、テーマが何もない。あっても「子供だまし」である。
次に、新しさがない。
いつ行っても同じような設備、内容、そして変化が何もない。
さらに、活気がない。
働く従業員は、おおむね「お年寄り」が多い。きっと、地元の「シルバーセンター」から派遣されたであろう、あじいちゃんやおばあ
ちゃんたち。乗り物ゲートや切符売り場で、天気の良いには、椅子に座ってウツラウツラ。。。
だから、全然活気がない。
夢を売る商売とは縁遠い。

園内は静かだし、設備には至る所に、錆や誇りが溜まっている。売っている商品も、どっかの縁日で売っているような物と大差
ない。食堂のメニューもため息が出るものばかり。
こんなんじゃ、潰れるのも仕方ないな〜と、思う。

昔、子供が小さいとき実家の近くの和歌山にある「み○き公園」に行ったときの事。
「どら○もんフェスティバル」とか「○○○レンジャー来園!」との電車内吊り広告を見て、行った。(当時、長男はこれらのアニメ
や○○○レンジャーが好きだったから)
中に入ってまず「どら○もんフェスティバル」の会場へ。建物の中に、「どら○もん」「の○太くん」「ジャ○アン「しず○ちゃん」達の
パネルが並べてあるだけ。で、入り口から入って2〜3分で出口へ。
で「え?」と顔を見合すおやじと家内。
次に上演時間が決まっている「○○○レンジャー」の舞台へ。
屋外の小さな舞台。「○○○レンジャー」達が悪者相手に戦っている。見ている子供達は声援する。
10分以内の戦いが終了すると、場内アナウンス。
「ただいまから、”○○○レンジャー”との握手と記念写真撮影会が始まります。ご希望のお子様は舞台のほうへ。お子様1名様
あたり○○○円です」
で、また「え?」と顔を見合すおやじと家内。
「金取るの?」
舞台では、お金を支払って、○○○レンジャーと一緒に写真を撮って、握手する子供達の列。

最後に、「浦島太郎 ○○の旅へ」とかなんとか書いてあった建物へ。
入り口上には、浦島太郎と亀の絵が(昔の映画館の入り口上にあったようなやつ)大きく掲げてあった。
入り口には椅子に座ったおじさんが居た。入場料が大人300円。子供150円とか書いてあった(正確な金額はもう忘れたが、
結構高かったように記憶している)大人2名+子供2名だから900円支払った。
入り口を入ると、水が流れて丸い浮き輪のようなものに乗り、中を見て回るように作ってあった。で、親子して乗った。
出発して建物内の暗いところに、浦島太郎や竜宮場、乙姫様、亀に乗った浦島太郎の「絵」が所どころにあって、それを見るだけ。
出口までの所要時間約8分。
で、お・し・ま・い。
な〜んだ、これ!
「詐欺だ〜〜〜〜!」と、おやじは叫べなかった。
悪徳商品を、自分で確かめもせずに買ってしまって、あとで後悔している「善人」のような気持ちだけだった。(苦笑)

それ以来、この手の「浦島太郎 ○○の旅へ」という建物には入らないことにしているが。(みんな入っていませんね?もう・・・)
しかし、こんなものを堂々と遊園地で出すほうの神経を疑う。
だから、日本の遊園地は潰れるのです。。。。
2005年02月24日(木) 天気は 晴れ *** 0596
今日の天気も、朝から晴れ模様。
だが、午後から少しづつ”うす曇り”になっていたようだ。

さて、ニュースから・・・・
『海外ニュース - 2月24日(木)15時9分      米同時テロ遺体鑑定終了 1161人確認できず
  【ニューヨーク=長戸雅子】米ニューヨーク市検視官事務所は、2001年9月の米中枢同時テロの被害者の遺体の鑑定作業
を23日までに終了したと発表した。
2、749人の犠牲者の42%にあたる1、161人の遺体が依然確認されないままだが、同事務所の報道官は「持てる技術の
すべては尽くした」と、現在の鑑定技術の限界を示唆した。
  同事務所によると、同時テロの現場からは19、916個の遺体片が回収され、DNA鑑定などで、このうち1585人分に相当
する10、190個の身元が特定された。なお不明の9、726個は将来の技術の進歩に備えて厳重に保管される。
また、残る3人の犠牲者は市外で死亡したため、検視事務所の調査の対象外という。
    犠牲者の遺族の40%以上は遺骨を回収できていない。代わりに犠牲者の写真や遺族の手記などをネットに一括保存する
サイトを昨年9月に立ち上げた遺族団体の代表、モニカ・アイケンさんは鑑定作業終了について、「つらい知らせだが、現実を
受け入れなければいけない」と話している。
   同時テロの犠牲者数は当初、6,700人を超えるとされたが、その後、行方不明者の生存が確認されたり名前の重複登録
などが判明したりし、市当局は昨年1月、2,749人を最終的な犠牲者数として発表した。
      (産経新聞) - 2月24日15時9分更新』

あれから、3年と半年が過ぎた「9.11」
その後、イラク、SARS、地震、津波・・・と、世界中で色んな事件や災害が起こっているので、最近なのに、もう遠〜い昔のように
なってしまったような感じさえある。
3年半経っても、まだ1,161人の遺体確認ができていないそうだ。
あの日、仕事に出たまま、遊びに行ったまま、家を出たまま行方不明の人が、まだ1,161人も居るわけだ。
残された家族、親、子供、恋人、友人、知人。。。。。。。
何を想うのだろうか・・・・・。
2005年02月23日(水) 天気は 晴れ *** 0595
今日の天気も、朝から晴れ模様。
気持ちが良い位、今日も晴れていた。
今、おやじは「グリンデルワルト・クラブ・ニュース」の製作に追われている。
そして、やっと完成。明日、印刷屋さんに回し、そのあとは宛先のラベル作り、その他の作業が続く。

この5月にグリンデルワルトの姉妹村である、長野県の上高地で「第10回 グリンデルワルト・クラブ総会兼懇親会」を開く。
安曇村の全面的なご協力を得て、村営「上高地アルペンホテル」を貸し切って行なう。
「グリンデルワルト・クラブ総会兼懇親会」では、スイス、グリンデルワルト大好きな方々が、日本全国から約70名参加される。
顔なじみも多いが、初顔の方も居る。食事して、お酒を飲んで、楽しくスイスやグリンデルワルトの旅行などについて、語らいを
行なう。みんな、「スイス・グリンデルワルト大好き」という共通項があるので、初めての方でもすぐに打ち解けてしまうだろう。
「お楽しみ抽選会」では、関係各位から提供して頂いた「スイス・グッズ」が、漏れなく当たる。
今回の1等賞品は、ナント! スイス・インターナショナル・エアラインズの成田〜チューリッヒ間の往復無料航空券である。
これが70分の1の確立で当たる!
参加しなきゃ損である。(スイス・インターナショナル・エアラインズ鞄結梹x社ご提供)

但し、参加するには「グリンデルワルト・クラブ」会員になる必要がある。
「グリンデルワルト・クラブ」自体は、親睦クラブなので、特に面接もなく、誰でも入会できる。
年会費が40フラン(または、3500円)である。
入会ご希望の方は、次のページを参照してください。
http://www.jibswiss.com/club-2005-01-03-hyoshi.html

著名な方も「グリンデルワルト・クラブ」(名誉)会員になって頂いており、その方々の出席もあるかも知れない。
スイスからは、おやじとその家族が参加します。
是非、「グリンデルワルト・クラブ総会兼懇親会」でお会いしましょう。

日にち : 2005年05月14日(土)〜15日(日)
詳細は、http://www.jibswiss.com/club-2005-01-03-hyoshi.html
をご覧下さい。
2005年02月22日(火) 天気は 晴れ *** 0594
今日の天気は、天気予報が外れて(?)晴天になった。
雪の後の晴天であるから、当然すがすがしく、気持ちが良い。
こんな日に、スノーボードで新雪を滑れない、く・や・し・い〜(笑)

さて、日本のニュースから・・・
『社会ニュース - 2月22日(火)18時1分      イラクどこ? 大学生4割誤答=米国も3%、北朝鮮1割−日本地理学会調査
   高校で地理を学習した大学生でも4割がイラクがどこにあるかを知らないことが22日、日本地理学会の調査で分かった。
米国の位置を知らない大学生も3%、北朝鮮を間違えた大学生も1割いた。
同学会地理教育専門委員会の滝沢由美子委員長は「高校で半数の生徒が地理を学ばない現在の教育課程では、正しい
世界認識は育たない」として、地理教育の充実を訴えている。    (時事通信) - 2月22日19時1分更新』

おやじは開いた口が塞がらない。
あんだけ、世界中が注目しているイラク。その場所を知らない大学生が、ナント、40%。
さらに、大学生が好きそうなアメリカ合衆国さえ、どこにあるか知らない大学生が3%。
拉致事件など日本でも深刻な問題がある、隣の北朝鮮でさえ知らない大学生が10%。
こんな大学生に、誰がした?
いや、責任転嫁はよくない。こんなの常識として知らない大学生自身が恥ずかしい。(と、思え!)
日本の大学生って、学校でナニやってんだか?
(いろんな事件起こすか、アルバイトして金を稼ぐか、大人顔負けのことばかりしている大学生が多いよね〜〜)
なにが、国際化? なにが、グローバル? なにが、国際人?
笑ってしまいます。(おやじ)

そして、もう1つ。
『経済総合ニュース - 12月30日(木)2時34分      フリーター 5年間で倍増 20−24歳男性の26% 14年
  20歳から24歳までの男性労働者全体に占めるフリーターら「非正規労働者」の割合が平成9年からの5年間で倍増していた
ことが、内閣府経済社会総合研究所の太田清上席主任研究官の分析でわかった。
金融機関の相次ぐ破綻(はたん)で不況が深刻化し、企業が正社員の採用を抑制した結果、高校や専門学校の卒業者にしわ
寄せが強まり、フリーター化が加速していった実態がうかがえる。
  分析は総務省が5年ごとに全国40万世帯を対象に実施している「就業構造基本調査」から、「学生アルバイト」を除いた男性
の正規・非正規労働者を抽出した。フリーターには派遣社員が含まれる。
  同調査の9年と14年のデータを比べると、「20〜24歳」までのフリーターの割合は、9年に13・1%だったが、14年には
26・2%と倍増。9年には「7.6人に1人」だったフリーター率は、5年後には「3.8人に1人」に高まったことになる。
  「25〜29歳」では7・9%から13・9%(1.76倍)に、「30〜34歳」も7・5%から11・0%(1.47倍)へと、フリーター率が
上昇している。
 フリーターの増加に伴い、「20〜24歳」までの男性労働者の所得格差(ジニ係数)も、9年からの5年間で19・1%から
22・1%に上昇した。仮に、手取りを平均で300万円として試算すれば、所得格差は57万3000円から66万3000円に広がっ
たことになる。
 太田上席主任研究官は「フリーターの割合が高まる傾向は変わっていない。若年労働者が職業能力を高めてステップアップ
するチャンスを作らなければ所得格差が開くばかりで、就労意欲が失われる可能性がある」と指摘している。
      (産経新聞) - 12月30日2時34分更新』

『政治ニュース - 2月21日(月)19時1分      フリーターに「職業訓練券」=ニート対策で−内閣府・厚生労働省と栃木県
   内閣府と厚生労働省は21日、定職に就かないフリーターの若者らに、専門学校などで職業訓練を受けられる引換券
(バウチャー)を渡す制度に4月から取り組む方針を明らかにした。
栃木県が2005年度のモデル事業として実施、両府省も情報提供などを通じて支援する。 
(時事通信) - 2月21日19時1分更新』

「フリーター」って失業者なの? それとも、定職に付くのが嫌な子達がアルバイトすることなの?
意味が、よく分からんが・・・
それにしても、今じゃ「フリーター」が1つの職業のように日本じゃ思われているようで、これが「お・か・し・い」と、思う。
昔は、アルバイトは職種ではなかった。履歴書には、恥ずかしくて「アルバイト」なんて書けなかった。で、「無職」と書いた。
今じゃ、履歴書にも当たり前のように「フリーター」だの「アルバイト中」だのと、書く輩が多いそうだ。

で、今度はそのフリーターに「職業訓練券」(ヴァウチャー)を渡すそうだ。 なんじゃ、これ?
旅館やホテルのヴァウチャー(クーポン券)じゃ、ないんだから、ヴァウチャーは変だろう?
しかも、「定職に付かないフリーターの若者達に・・・」だって。
定職に付きたくないからフリーターやっている若者に、「職業訓練券」を渡してどうなるの?
「職業訓練券」を渡せば、お金がもらえるの?
何のための「職業訓練券」なの?
本当に、日本のお役所の考える事は、な〜んも分からん!
誰が、こんなもの考えたんだろうね〜しかし・・・・・。
しかも、税金だよ。これ。。。。。。

「ヴァウチャーのQ&A」は、こちらを どうぞ・・・
http://www5.cao.go.jp/keizai3/2001/0706seisakukoka8-q.html
2005年02月21日(月) 天気は 曇り/雪 *** 0593
今日の天気も、曇り、時々雪である。
今年は、雪がよく降るな〜〜、が感想である。

今日は、事務所で仕事を。また、自宅で「グリンデルワルト・クラブニュース」を作る。
グリンデルワルト・クラブニュースは、クラブ会員だけに送る会報誌で、年に3回発行している。
3月、6月、そして9月の3回である。
その作業を行なっている。

さて、スイスのニュースから・・・
『スウォッチ社長、ハイエック氏に名誉市民権  (Wed. 19.02.05 Smi)
  スイスの時計企業、スウォッチの社長、ニコラス・G・ハイエック氏はビール/ビエンヌ市より名誉市民権を贈られた。
名誉市民権の授与式は、氏の77歳の誕生日に行われ、お祝いに連邦大統領サミュエル・シュミード氏を初めとして、数百人が
出席した。
ビール市長は、ハイエック氏の偉大な功績を称え、氏を「スイスの時計産業の救世主」と表現した。
ハイエック氏の戦略とヴィジョンのおかげで、スイスの時計産業は再び世界でトップの座に返り咲くことができた。
ビール市が名誉市民権を授与するのは1947年以来。』
スォッチのHPは、
http://www.swatch.com/
ビール市のHPは、
http://www.biel.ch

スウォッチのHPを見たら、なんとアメリカ向けと日本向けだけのショッピング・ページがリンクされていた。
いかに、日本のマーケットが重要かの位置づけだとおもう。
(02月11日つけの「つぶやき」でも、取り上げているように、スイス時計の輸出は好調だったのだ)
まあ、確かにそれまでのスイス時計のイメージは、「高級」のみ。
1個が数十万円〜数百万円ばかり。庶民の手の届かない商品だった。
で、オメガやチソットが登場し、一般人にも買えるような金額になった。でも、1個がウン万円〜十ウン万円もした。
そして、登場したのがスウォッチ、である。
1個が5000円くらい。しかも、ファッション時計。中が透けていたり、プラスチック製だったり、ベルトも安そうな感じがした。
で、若者に受けた。安い、壊れにくい、しかもスイス製である。
またたく間にスウォッチは、若者向けのスイス時計の代名詞にもなった。(今では、若者だけとは限らないが)
確かに、アイデアと料金でスイス時計のイメージを変えた功労者として表彰されてもいいだろう、と思う。
2005年02月20日(日) 天気は 曇り/雪 *** 0592
今日の天気は、曇り、時々雪である。
チューリッヒ空港へ日本からのお客様を、車で迎えに行く。
グリンデルワルト、インターラーケン、マイリンゲン、ブリュニーク峠〜ルッツェルンの手前までは、ず〜と雪降り天気だった。
が、ルッツェルンあたりから雪など降っておらず、道も乾いていた。そして、時折青空が見え始めていた。
チューリッヒ空港からの帰りも同様で、ルッツェルンを過ぎると、徐々に雪がチラホラ舞い始めていた。
ブリュニーク峠の中間辺りでは、自動車のスリップによる事故が、反対車線で起こっていた。

さて、スイスの「スタ誕」も、いよいよ大詰めとなった。
先週、4人に絞られた中から最後の1名が落ちる日である。
4人がそれぞれ唄を歌い、踊りを披露し、また2つのカップルでのデュエット曲なども歌った。
その結果、グリンデルワルトの星「ダニエル君」は、見事3人の中に残った。
これで、来週の土曜日に行なわれる「ファイナル」で優勝者が決まるのだ。
今日の審査員の批評では、ダニエル君は今このままプロになってもおかしくないと言われ、3人の審査員がそれぞれ10点満点
(合計で30点)を出していた。
4人の今までの集計を見ても、トップはダニエル君で、2番目がサロメちゃん(バレー州の出身)で、開きがあって、他の2名の
順番になっていた。
まあ、これで行くとおやじの予想では、まずダニエル君の優勝は固いと思っている。。。
過去には、有名な登山ガイド、スイスの大臣、スキーのオリンピックの金メダリスト、ワールドカップの選手などを輩出したグリン
デルワルトに、今度はミュージック・スターがデビューする日も、そう遠くない! (次の土曜日が楽しみであるが・・・)
番組のHPは、
http://www2.sfdrs.ch/musicstar2/

さて、日本のニュースだが・・・
『社会ニュース - 2月20日(日)22時19分      <中部国際空港>想像以上の観光客 「空弁」も初登場
   愛知県常滑市の中部国際空港(セントレア)は20日、初の日曜日とあって旅客だけでなく観光客が、電車、観光バス、
マイカーで続々と訪れた。
午後5時には、17日の開港初日を上回る約8万6000人に。週末2日間で、約20万人(午後11時想定)となった。
  飲食、雑貨、土産物、アパレルなど有名店を集めた同空港の4階商業施設は、開港以来「想像以上の観光客」(平野幸久
空港社長)。この日も、一部のエスカレーターを止め、“入場制限”。3階出発ロビー中央では、商業施設に上がる人たちの長い
行列ができた。
  旅行客からは「出発前に食事をと思ったのに、これではお茶も飲めない」との苦情も。このため、3階国内線出発ロビーに、
臨時の空港弁当「空弁(そらべん)」売り場が登場。ひつまぶしや尾州早寿し、料亭の蛸(たこ)めしなど約10種類が並び、
午後3時までに空弁約700個、おにぎり約300個を完売した。
静岡県引佐町、会社員(32)ら親子3人は「銭湯を楽しみに来たが2時間待ち。4階では食事もとれないので、弁当に。
こんなに込んでいるとは」と驚いていた。「空弁」売り場は、混雑具合を見て随時開くという。【林幹洋】
      (毎日新聞) - 2月21日0時30分更新』

やっぱ、おかしくないですか?この現象。
空港の入場制限。空港の弁当で「空弁」だって。ネーミングもすごいよね。(笑)
しかし、”空港の銭湯を楽しみに来た、、、、”って。
一体、空港へ何しに行くんだろう・・・・?
予選通過した最初の10人 グリンデルワルトの星「ダニエル君」
2005年02月19日(土) 天気は 曇り/雪 *** 0591
今日の天気は、曇り〜雨、雪に変わった。
いよいよ、崩れ始めた。
天気予報では、暫くの間、ぐずついた天気になると言っている。あ〜あ、だ。。。。

さて、日本のニュースから・・・
『社会ニュース - 2月20日(日)0時25分      食堂は6時間待ち…中部国際空港、初の週末で大混雑
   中部国際空港の飲食店街では、6時間待ちの店も(19日午後)
  中部国際空港(愛知県常滑市沖)は開港後、初の週末となった19日、ツアーなど大勢の見学客が詰めかけ、出発ロビーや
飲食店街は人でごった返した。
  大半の飲食店は昼前から午後にかけて1時間待ち。名古屋名物のエビフライが売り物の食堂は一時、入店まで6時間待ち
の状態となった。展望風呂でもオープン前から100人以上が列を作った。
  この日の来場者は、約8万8000人。17日の開港から3日間の来場者は約25万6000人で、同空港会社は「15万人強の
予想をはるかに上回った」としている。      (読売新聞) - 2月20日0時25分更新』

いつもながらとは言いながら、こういう現象って、一体何なんだろう?
もの珍しいのは、分かる。
新しい空港も、分かる。
開港が嬉しいのも、分かる。
しかし、関係各位には言っちゃ悪いが、「たかが 空港」でしょう?
なんで、そんなに、大挙して見に行く価値があるのだろう?
「空港を見に行くツアー」なんてものも、あるんだ。
まるで万博だね。
(万博は半年間のオープンだが、空港はこれからず〜〜と、あるんだよね?)

空港を利用しない、見物客の飲食店の利用が1時間待ち。
名古屋名物のエビフライの食堂が、6時間待ちだって!?
展望風呂(?)には、100人が列を作った!?
空港の来場者数がすでに、3日間で25万人!?
(やはり、万博なのかな〜、中部国際空港って?)

空港って、何しに行く所だっけ?
見学? 見物? 食堂街の利用? 展望風呂の利用?・・・・・・?
本来の空港利用者にとっては、エライ迷惑な話しだよね〜。これって。。。。。
これこそ、「人の迷惑を考えろ!」じゃ、ないのかな〜。。。。
あ〜あ。。。。何なんだろう? 日本人って?(いえ、○○○人と言うべきなのかも知れませんが・・・・)

(言葉、文章に対する語弊があればお許し下さい。おやじ・・・)
2005年02月18日(金) 天気は 晴れ *** 0590
今日の天気も、はれ〜〜〜〜〜〜〜。
いい天気である。
おやじは、事務所で仕事です。
雪は多いし、天気はいいし、気分も爽快です。
こんな日が毎日あれば、嬉しいですね。。。。

さて、スイスのニュースから・・・
『スイスのチョコレート製造会社、2004年度成功を収める   (Wed. 09.02.05 Smi)
 スイスチョコレート製造会社連盟「チョコスイス」の最新の統計によれば、2004年度、スイスのチョコレートの製造は6%以上、
売り上げは9%以上増加した。国民一人当たりのチョコレートの消費は11.6キログラム。
スイス製のチョコレートの国外への輸出は量的には約10%増え、売り上げは13.3%増えて5億5,100万スイスフランと
なった。
製造されたチョコレートの半分以上は輸出される。スイス製チョコレートの輸出先の筆頭はドイツで、全体の20%を占め、イギ
リスとフランスがそれぞれ11%、アメリカが8%と続いている。』
スイス・チョコレート協会のHP
http://www.chocosuisse.ch/page/Welcome

『2004年度スイスチーズの輸出増加   (Sat. 12.02.05 Smi)
 スイスチーズの外国への輸出は2004年度7.3%増え、総量5万5,613トンとなった。
スイスへのチーズの輸入は逆に1.3%減り、3万1,461トンとなった。
セミハードチーズの輸出は609トン(8.6%)増加したが、その一つのアッペンツェルチーズは245トン(5.2%)増えた。また
様々な特産品が214ン(6.4%)増え、ラクレット、Tete deMoine AOC、ヴァシュラン・フリブルジョワの輸出は11%から
15.7%拡大した。』
スイス・チーズ・マーケティング鰍フHP
http://www.switzerland-cheese.com/index_1.htm
エメンタール・チーズのHP
http://www.emmentaler.ch/
スイス・チーズ協会のHP
http://www.kos-net.ch/
2004年度は、スイスの産業界にとって(一部?)好調だったようでよかったよかった。
でも、やはり小さい国スイス。輸出が伸びないと経済が良くならないのは、日本と同じですね。
2005年02月17日(木) 天気は 晴れ 0589
今日の天気は、はれ〜〜〜〜〜〜〜。
晴天であ〜〜る!

今日は、スノーボードのお客様1名をコースガイドにご案内する。
お客様がスノーボードなので、当然ながらおやじもスノーボードである。
お客様がスノーボードで滑る姿、雄大なアルプスとの写真を撮るのが主目的。
真っ青な空。白い雪。雄大なアルプス。フワフワな新雪・・・・・
もう、サイコーーーーーー。
仕事とはいえ、おやじも新雪に入って楽しんだ。。。。(良かった、良かった・・・笑)

「今月の写真」を更新したので、どうぞご覧下さい。
2005年02月16日(水) 天気は 曇り *** 0588
今日天気は、雪も止み、なんとなく良くなりそうな感じの朝の天気だった。
よく降ったな〜、というのが感想。

今日は、2名のお客様を車でブリーク駅までお見送りする。
グリンデルワルトからインターラーケンまでは雪道。インターラーケン〜シュピエッツ〜フリュティゲン間は雪はなく、その後〜
カンデルシュテック間はまた雪道。カートレインに乗って山の反対側のゴッペンシュタインに着くと、晴れ間が広がっていた。
そして、最近雪が降った形跡がぜんぜんない。道路も乾燥している。
ということは・・・あの大雪はアルプスの北側だけ降ったということになるのかも。

ブリーク駅で氷河急行の電車にお載せし、見送ってブリークを出発する頃には、青空が広がり気温も上がって暖かかった。
が、しかし、再びアルプスのトンネルを抜け、カンデルシュテックに戻って来ると、こちらでは細かい雪がチラホラと降っていた。
ただ、午後になって気温が上がったのか道路の雪は溶けて、アスファルトが見えていた。
そして、グリンデルワルトに戻ってきた午後3時ごろには、グリンデルワルトでもゆっくりだが天気は回復に向っていた。

さて、スイスのニュースから・・・
『スイス製の旗がニューヨークのプロジェクト「The Gates」に使用される  (Wed. 09.02.05 Smi)
  ニューヨーク市長、マイケル・ブルームバーグ氏も臨席し、芸術家クリストと夫人のジャンヌ・クロードの新しいプロジェクトが、
土曜日、ニューヨークのセントラルパークで華やかに幕をあけた。
門「The Gates」と名付けられた同プロジェクトでは、サフラン(オレンジ)色の7,631枚の旗がニューヨークのセントラルパークで
全長37キロメートルにわたって門をかたどっている。
プロジェクトに使用されている旗は、スイスの会社、ルツェルン州のビエリ・ブラッヘン株式会社が製造し搬入した。
旗の総面積は10万平方メートルで、会社の創立者がスイスから出かけ、現地で旗をほどく作業を指揮した。
同プロジェクトの展示は2005年2月28日まで続けられる。プロジェクトの費用は約2,000万ドル。』
だ、そうだ。
今月待つまでにニューヨークに行かれる方は、ぜひ、ご覧下さい。
芸術家のHPは、
http://www.christojeanneclaude.net/
ビエリ・ブラッヘン鰍フHPは、
http://www.bieri.ch/
2005年02月15日(火) 天気は 大雪 *** 0587
今日の天気も、朝から雪降り天気である。
しかも、大雪になってしまった。
スイス各地で、雪崩注意だの、追突事故だのと、ラジオのニュースで言っていた。
雪がないと困るし、雪が降れば嬉しいが、夜中に降って日中は晴れて、また夜に降る・・・・な〜んてこと、してくれないかな。
一度にドカッは要りません。(笑)

さて、ニュースから・・・
『エンターテインメントニュース - 2月12日(土)10時38分      チャプリン「モダン・タイムス」70年ぶりラップで甦る!
  喜劇王、チャールズ・チャプリンの名作映画「モダン・タイムス」(1936年公開)のサントラ音源が70年の時を経てラップで
甦り、日本で大ヒットの兆しだ。
  歌っているのは、米UCLAの現役大学生でもあるフランス人新進ラッパー、J Five=ジェイファイブ=(22)。チャプリンの
遺族の了解を得てサントラ音源から気に入った音を取り出し、自らのラップとドッキング。
同じ「モダン・タイムス」の曲タイトルで母国・フランスで発売したところ、シングルチャート1位に輝いた。
  誰もが耳にしたことのある懐かしいメロディーに加えて孫娘の女優、ドロシー・チャプリンが、プロモーションビデオ(PV)に
友情出演した話題性も加わって大ブレーク。人気は欧州各国へも飛び火した。
 そんな珍現象に注目したポニーキャニオンが販売権を獲得し、先月13日に同曲など13曲を収録したCDとPV入りDVDの
2枚組アルバム「モダン・タイムス」(税込2625円)として発売。ZIP−FMの最新チャートで1位になったのをはじめ、有線
洋楽問い合わせチャートで7週連続1位を記録。欧州での勢いそのままに、日本も席巻しそうな勢いだ。
天国のチャプリンも喜んでいるに違いない。      (サンケイスポーツ) - 2月12日10時38分更新』

とのニュース。
丁度おやじも02月12日(3日前)に、チャップリンのことを「つぶやい」たばかりなので、この偶然性が面白い。
ビデオ・クリップを見ると、モダンタイムスのオリジナル画像もあり、現在の画像とうまく繋げてあり、おやじとしては懐かしい。
「モダンタイムス」のビデオクリップも見られる、「J Five」(下記の写真)のホームページは、
http://www.jfivemusic.com/www/index.php
2005年02月14日(月) 天気は 雪 *** 0586
今日の天気も、朝から雪模様である。
1日中降り続いていた。

今日は、”バレンタイン・デー”。
外国では「男性が女性に花などをプレゼントする」日である。
日本では女性が男性に「義理チョコ」を贈る日であるが、これはまさに日本のチョコレート屋さんの陰謀である。(笑)
おやじは、恒例ではあるが、奥さんと、娘の仁子と、スタッフの女性に、それぞれバラの花をプレゼントした。
「奥さんと娘さんと同じ数ですか?」とスタッフが聞くが、もし、このバラの数を変えたら大変である。
どちらにしても、少ないほうが文句を言うだろう。。。それも、次の「バレンタイン・デーまで」の間。
なので、いつも「一本づつ」と決めてある。(笑)

さて、日本のニュースから・・・
イロイロと毎日出来事が起こっているが・・・

『 <小学校乱入>17歳少年が教職員3人殺傷 少年は口つぐむ』 には、驚いた。
スイスのニュースでも伝えていた。
なんで、こんな事件が簡単に、しかも白昼に起こるのだろう・・・・・不思議で仕方ない。。。

『 <ニッポン放株>急反落960円安 フジ株は反発』 では、お金があればいとも簡単に会社を乗っ取る事ができるんだ、と
改めて知らされた。
これが、株式会社の構図なんだろうが。
いくら、技術があっても、どんなに会社を愛していても、どんなに苦労して会社を大きくしても、お金を武器に別の組織が乗り
込んでくれば、会社の1つや2つ、簡単に支配できるんだ、という資本主義の見本みたいな事件だと おやじは思う。
その反面、「コクド」の堤会長のように、私欲で会社をむさぼる御仁が居るのも資本主義なんだろうが。。。。

『 社会ニュース - 2月14日(月)21時43分      路線バスが対向の乗用車と衝突、運転手死亡…発作か
 14日午後4時ごろ、さいたま市見沼区東門前の県道で、東武バスの路線バス=坂本孝運転手(46)=が対向車線にはみ
出し、渋滞で止まっていた乗用車と衝突した。
  通行人の110番通報で大宮東署員が駆け付けたところ、坂本運転手は運転席で意識不明の状態で、搬送先の病院で死亡
した。乗客は3人ほどいたが、全員立ち去ってしまったという。乗用車の運転手にけがはなかった。
   同署は、坂本運転手に目立った外傷がないことから、発作を起こした可能性もあるとみて、詳しく調べている。
      (読売新聞) - 2月14日21時43分更新』
これが、一番驚いた。
なぜか?って。
バスの運転手が発作を起こしたのは病気かもしれない。
それよりも、事故にあい、運転手が死亡したそのバスに乗っていた乗客が「立ち去ってしまった」ということ。
事故の通報は、通行人であって、乗客ではない。
これが、おかしい。
なんで、こんなに無関心で居られるのだろうか?
この3人の乗客って、一体どんな人間なんだろうか?
男? 女? 子供? 年寄り? 中年? おばさん? おじさん?
な〜んで、運転手が発作で苦しんでいる(あるいは、意識不明の状態)のに、何もしないで、そのままバスを降りて去ってしまう
のだろう? 困った人を助ける。救急車を呼ぶ。運転手を助ける。 そういう基本的なことができないのだろう・・・・・。
ホント、おかしいよ。
2005年02月13日(日) 天気は 雪/吹雪 *** 0585
今日の天気は、雪に変わった。
村の中が一面真っ白に変わった。

今日は、13名のお客様を連れてスキーコースガイドに行く。
登山電車で上がったクライネ・シャイデックは、ガスで真っ白。 それでも、滑る。
12名は、ある県のスキークラブの男性ばかり。1名は一人参加の男性。
スキークラブの方々は、スキーは上手だし、新雪を狙って滑るのが好きなようだ。
徐々に風が強くなり、3つのチェアーリフトが止まった。
風の影響で、降る雪も吹き溜まりと、飛ばされたところと両極端にあって、滑りにくい。
結局、一応いつもの周遊コースをクライネ・シャデック→ヴェンゲン→メンリッヒェン→グルントと滑る。

さて、「スイスのスタ誕」は、今夜は5名の出場者から1名が落ちる、ことになった。
こちらの番組が日本の番組と大きく違うのは、1週間の間(放送は、毎週日曜日の夜に生放送)各出場者がチューリッヒの
テレビ局に集まって、次に唄う歌や、出場者同士のデュエットなどの唄や踊りなどを練習し、それを本番で披露する事である。
番組自体は勝ち抜き選なので、勝ち残る出場者達は、毎回違うジャンルの歌を歌い、踊らねばならない。
歌う歌の99%は、英語のポップスである。(日本だと日本の歌が主流で、英語の歌などは少ないだろう・・・)
だから、出場者全員が英語はうまい。
それと、各出場者の応援団がドドドドと毎回会場にやって来ており、大きな横断幕や手書きの紙などを掲げているが、そこに
必ず両親、親戚が前のほうの席に座り、しっかりテレビに写るし、名前や顔写真の入ったお揃いのTシャツなどを着ている。
両親のインタビューなどもあるし、彼氏や彼女も一緒に来ていて、しっかりとテレビに映っている。。。。(笑)

この番組で優勝すれば、レコード会社と契約し、レコードデビューや、場合によってはテレビやその他の番組にも出る可能性が
十分にあるわけだから、日本だったら、さしずめデビュー後の事を考えて「彼女や彼氏のこと」はオフレコにして隠すだろう。
しかし、こちらではもう堂々である。
我が、グリンデルワルトの星である「ダニエル君」の場合は、現在彼女とグリンデルワルトで同棲中であり、その彼女も親や
応援団と一緒に会場に来ている。(まあ、同棲はこちらでは当たり前の行為なので、誰もなんとも言わないが。。。)

さて、その結果だが、、、、
審査員の判定や会場の客の判定では、一番悪かった男性が、その後の電話投票で勝ってしまった。
で、審査員の判定も、会場の評も良かった男性が、電話投票の結果で落ちてしまった。
見ていたおやじたちも 「ええ?」という感じ。
本人も結構自信があっただけに「え?俺が落ちたの?」という表情だった。
この電話投票って、毎回テレビでは掛かってきた電話の回数は言わないし、画面にも数字が出てこない。。。。
つまり、全然発表しない数字である。
今回のこの結果を見ても、なんとなく、この電話投票がインチキ臭い感じを おやじは持ってしまった。。。。
ちなみに、我が、グリンデルワルトの星である「ダニエル君」はというと、審査員の点数は満点。会場の評も一番高得点で、
ダントツで勝ち残りました。これで、残りは4人。
来週が楽しみです。。。。
番組のHPは、
http://www2.sfdrs.ch/musicstar2/
2005年02月12日(土) 天気は 雨 *** 0584
今日も天気は、雨。あ〜あ。。。。。
折角スキーに来ている人々も、この天気じゃスキーに行けないと、村の中は、多くの人で混雑している。
どうしようもないね〜。この天気じゃ。。。。。。

さて、スイスのニュースから・・・
『土曜 12.02.2005, CET 22:10                  スイスに永眠する 喜劇王監督チャップリン
   1950年代に米国で巻き起こった「赤狩り」を逃れて、天才映画監督チャーリー・チャップリンがスイスのヴヴェイにやって
きたのは1952年だった。
  イギリス人のチャップリンが安住の地に選んだのは、レマン湖畔の小さな町ヴヴェイ。
シャトー・ドゥ・バンという豪華なお城で、晩年の25年間を過ごした。
  ヴヴェイはローザンヌとモントレーの間に位置する小さな町で、現在はネスレの本社があることで有名だ。
この西側のレマン湖畔からの展望は特に素晴らしく、湖の向こうにアルプスが望め、緩やかな傾斜の丘には葡萄畑が見渡
せる。チャップリンが安住の地に選んだのも頷ける。
  ヴヴェイの湖畔を歩くとチャップリンのトレードマークのステッキを持ち、帽子を被った銅像に出会う。
この他に、チャップリンが購入したシャトー・ドゥ・バンのお屋敷があるコルジェ・シュル・ヴヴェイ(ヴヴェイの上という意)の
村には「チャップリン広場」がある。ここには、チャップリンの墓もある。
  1952年、自伝的作品で、生きる希望を失ったバレリーナと、孤独な老コメディアンの愛を描く『ライムライト』を発表する
ためにツアーに出たところ、「共産主義支持者である」としてアメリカ下院非米活動委員会に召喚され、米政府は彼の再入国
許可を取り消した。同委員会には戦争そのものを否定する『独裁者』(1940年)の発表以来、執拗な監視を受けていたのだ。
米国では丁度、マッカーシー旋風が巻き起こり、共産主義者が弾圧を受け始めた時代だった。
  このため、チャップリン(当時63歳)はローザンヌで有名なボーリヴァージュホテルで滞在しながら、嵐が去るのを待つこと
にした。しかし、米国民の激しい阻止運動を受け、再入国許可申請を断念する。
受入国スイスでの静かな生活が気に入ったチャップリンは、敷地が14ヘクタールもあるシャトー・ドゥ・バンを購入し、家族
全員(妻ウーナと子供が8人)と共に住居を構える。
  チャップリンはスイスに亡命してからも仕事を続けた。
伝記「チャプリン自伝」(上・下/新潮文庫、中野好夫訳)を書き、映画ではマッカシー旋風のアメリカを批判する『ニューヨー
クの王様』(1957年)とソフィア・ローレンとマーロン・ブランドが主演する『伯爵夫人』(1977年)を撮った。
  「何もしていないということがなく、常に活動している人という思い出が強い」と回想するのは、息子のマイケル・チャップリン。
スイスでの生活については「ハリウッドにいないことで家族との生活を得ることができ、精神的な安定も得たのだろう」と語る。
散歩に出てもファンに付きまとわれる事のない静かなスイスの生活が気に入っていたようだ。
スイスのサーカス「クニー」の公演には欠かさず行ったという。
  チャップリンファンに嬉しいことにはこの縁の城、シャトー・ドゥ・バンが記念館としてもうすぐ、一般公開される。
2001年4月に創設されたチャップリン基金が、彼の子供達からお城を買い取り、現在、改修工事が行われている。
チャップリン基金のメイヤー氏によると「全てが順調にいけば、2006年末には開館予定」という。
チャップリンの映画関係の資料などの他に、チャップリンが住んでいた当時のままの部屋など、チャップリンの個人的な側面
も垣間見れる。シャトーは24室もあり、地下や離れも改造中というから、楽しみだ。
  この記念館開館の先触れとして、今年3月から始まる愛知万博のスイス館では「チャーリーのコーナー」が設けられる予定と
いう』

多分、皆さんもスイス旅行の最中に、ヴェヴェイの海岸通リで、チャップリンの銅像と一緒に記念写真を撮ったかもしれない。
そのチャップリンが晩年を過ごした城が一般公開されるという。嬉しいニュースだ。

ローザンヌに近いトロシェナに住んだオードリー・ヘップバーンと、ヴェヴェイに住んだチャーリー・チャップリン。
彼らの生活に少しでも触れることのできるスイスに感謝したい。。。。
チャップリンの記事
http://www.swissinfo.org/sja/swissinfo.html?siteSect=105&sid=5482848
チャップリンの記念館
http://www.chaplinmuseum.com/english/heritagesite.php?page=0
週刊シネママガジン(チャップリン特集)
http://cinema-magazine.com/new_kantoku/chaplin.htm
ヴェヴェイの湖岸通りに立つチャップリン像 チャーリー・チャップリン
2005年02月11日(金) 天気は 雨 *** 0583
遂に、天気が崩れ始めてしまった。
今日は、朝から曇り、そして雨になってしまった。
気温が高いので、グリンデルワルトの村の中は、雨。
標高1200m付近から雪だそうだ。

さて、スイスのニュースから・・・
『好調だった2004年度のスイスの時計輸出  (Fri. 04.02.05 Smi)
  2004年度はスイス時計の輸出が新記録を達成。
売上は111億スイスフランで9.22%伸びた。
スイスで製造された時計の95%が輸出され、中でも高額で高品質の時計が伸びた。
42.55%がアジアへ、33.5%がヨーロッパ域内に、そして22%が米国に輸出された。
国別では、米国が18億7,590万スイスフラン(プラス12.9%)、香港が16億4,180万スイスフラン(プラス15.6%)、
日本が9億9000万スイスフラン(プラス0.5%)だった』
スイス時計協会のHP(英語版)  http://www.fhs.ch/en/
スイス時計協会のHP(日本語版) http://www.fhs.jp/index.htm

これを見て、おやじは「へ〜」と思った。
まだまだスイス時計を買う日本人が多いんだ、と。
SEIKOの「クォーツ」誕生の物語をNHKの「プロジェクトX」で見ているので、そのクォーツ以降、日本の時計は海外でよく
売れていると思っているのだが。逆にスイスの時計が日本で売れていることに関して興味を持つ。
しかも、スォッチなどのファッション時計がよく売れているのだろうと思っていたら、実は高級時計のほうがよく売れているとは?
日本人の高級志向が時計にも顕著に現れているんだろうか?

ちなみに、おやじの持つ時計は長年「駅時計」のみである。
2005年02月10日(木) 天気は 晴れ *** 0582
今日の天気も晴れ。
よくまぁ〜、これだけ晴天が続くなぁ〜と、思っているが、しかし、天気は徐々に崩れるという天気予報である。
(「過去の天気予報」を参照のこと)

今日は、事務所で仕事をするのだが、村の中も多くの観光客(スキー客やボーダー客などを含む)で賑わっていた。
2月も、まだまだ中盤。スキーシーズンの真っ最中である。

夜に、2006年の冬季オリンピック出場権を賭けたアイスホッケー試合がテレビで放映された。
スイス 対 日本。(同じグループには、ノルウェーとデンマークがいる)
結果は、5対1で、スイスの勝ち。
まあ、レベルが違うので、日本がスイスに勝つのは難しいのだが、しかし、1点を入れたことだけでも十分だと思っている。
将来、日本のアイスホッケーのナショナル・リーグに入って活躍したい、我が長男(一康)としては、悔しいらしい。
身長も、体重もスイスのほうが上。もちろん、技術もスピードもスイスのほうが上である。
しかし、かといっても日本のナショナル・リーグに入るにしても、長男はもっと頑張らないと厳しいのは事実である。

さて、ニュースから・・・・
『社会ニュース - 2月10日(木)20時21分      <英皇太子>「さらばダイアナ」愛人カミラさんと再婚へ
   【ロンドン小松浩】英皇太子の事務所は10日、チャールズ皇太子(56)と長年の愛人であるカミラ・パーカー・ボウルズさん
(57)との結婚式が4月8日に行われると発表した。王位継承者が離婚経験者と再婚することには反対論も根強く、英国国教
会の教義や、オーストラリアなど英君主を元首とする英連邦諸国に波紋を広げそうだ。
  チャールズ皇太子は故ダイアナ妃と81年に結婚したが、昔の恋人だったカミラさんとの密会がきっかけで不仲となった。
夫のいたカミラさんは95年に離婚。チャールズ皇太子も96年にダイアナ妃と正式に離婚した。
ダイアナ妃は翌97年、パリで交通事故で死亡。皇太子はその後もカミラさんとの交際を続け、最近は公の席にも一緒に姿を
見せるなど、事実上、夫婦同然の生活をしている。
  昨年の世論調査では、皇太子とカミラさんの再婚に賛成の国民は32%、反対は29%。残りの約40%は無関心だった。
10日の英メディアは「皇太子は自分の好きな相手と結婚する権利がある」「カミラさんはダイアナより結婚相手にふさわしい」
といった賛成論や「結婚する前にチャールズ皇太子は王位継承権を放棄すべきだ」「カミラさんが王妃になるくらいなら英国
も大統領制にした方がいい」など反対する声も寄せられている。
  英王室は英国国教会の長にあたる。国教会は離婚経験者との教会での結婚式を禁じており、ウィリアムズ・カンタベリー
大主教も皇太子の再婚に反対していたが、最近になって賛成姿勢に転換、規定の見直しなども進めているとされる。
      (毎日新聞) - 2月10日20時39分更新』

多分、皆さんもすでにご存知のこのニュース。
いやぁ〜、外国とはいえ、しかしチャールズ皇太子も、よくやるね〜。。。。
皇太子といっても、すでに56歳。
こんなにカミラさんが好きなら、ダイアナ妃とは結婚しないで、最初からカミラさんと結婚すればよかったのに。。。。
そしたら、ダイアナ妃も嫌な思いをすることなく別の人生を歩めただろうに。
そして、残された2人の王子たち。
母親は父親の浮気(?)で離婚し、さらにすでに他界。
その母が亡くなった原因となるような、ママ母(?)が、まもなく父親と結婚する。。。。。
なんか、ドラマだね〜。

別の考え方をすると、チャールズ皇太子がこんな性格になったのは、もしかして厳格な母親である「エリザベス女王」が、原因
かもしれない。母親の言うとおりに生きてきた「マザコン」のチャールズ皇太子。
母親が偉大すぎて、いつになっても国王にはなれず。で、カミラさんと結婚したくても相手は人妻。で、母親に叱られた。
「あんた、もっとしっかりなさい! あなたは、それでも大英帝国の国王になる身ですよ!」な〜んて、お尻を叩かれながら。。
で、結局母親に反乱する意味で、一般人のダイアナと結婚。
母親は大反対したが、チャールズは、「わがまま坊主」のようにダダをこねた。
「ぼく、ダイアナと結婚できないんだったら、バッキンガムを出てやる〜〜〜!」と。
母は仕方なく、ダイアナとの結婚を認めるが、結婚後、姑のダイアナに対するイジメが始まる。
ダイアナは、チャールズに相談するものの、チャールズは母親にたてつけない。
で、チャールズの相談相手がカミラさん。
「可愛そうな、チャールズ・・・・・私がいつも付いてあげるから、心配しないで・・・」と、チャールズを慰める。
二人の仲を知ったダイアナが、チャールズに詰め寄る。
「チャールズ、あなたは私とカミラと、どっちを取るの?」
「ぼ、ぼ、ぼくは、カミラが好きだ!」と、チャールズ。
「もう、呆れたわ!」とダイアナ。
離婚を決意したダイアナ。
だが、翌年、ダイアナは、恋人と交通事故死。
原因は不明だが、イロイロと言われていた。
”事故” ”他殺” ”自殺” ・・・・・・
数年たって、晴れてチャールズ皇太子は、昔から好きだったカミラさんと結婚することになった。
めでたし、めでたし・・・・・
だが、このドラマは、このままでは終わらないかも、しれない・・・・・?

日本の皇室じゃ、絶対に有り得ない話し。
もし、皇太子が雅子さんに内緒で、昔から好きだった○○○さんと不倫。
しかも、雅子さんと離婚、○○○さんと結婚!な〜んて、事が起こったら(起こる筈はないが)、もう日本中がひっくり返るね。

しかし、いつ見てもチャールズ皇太子って、どっかの「お坊ちゃん」の感じが取れないね〜、いつまでも。。。。
(3文芸能記事的、つぶやき で 失礼致しました。。。。。)
2005年02月09日(水) 天気は 晴れ 0581
今日の天気も晴れ。
日本からのお客様22名を連れて、ミューレン地区へスキーに行く。
現在、シルトホルンへのロープウェイが故障で運休しているので、ミューレン周辺だけしか滑れないが、天気は快晴。
雪も良く、無風状態で、気持ちの良いスキーができた。
「写真」を参照。

さて、スイスのニュースから・・・
『スイスの新札シリーズ準備中   (Thu. 03.02.05 Smi)
  現在流通しているスイス紙幣は、1995年から1998年に発行された。
昔の紙幣は40年間位流通していたものだが、この間技術進歩によって紙幣の流通期間は15年程になっている。
スイス紙幣は高い安全基準を満たしており、年間3,000から4,000枚の偽札が押収されている。
新札はやや小さめになっており、新札シリーズの開発費用はおよそ2、000万スイスフランかかる見込み。』

日本でも、今、偽札とか偽コインが大量に出回っているが、スイスでも年間に3,000〜4,000枚の偽札が見つかっている
そうだ。どこでも、同じですね〜。
しかし、こういう偽札を作る技術も生易しいものではないはず。
工場も必要だろうし、技術も必要なわけで、作るにしても大掛かりになるんだろうな〜、、、、と、思うのだが。。。。。
スイス国立銀行のHPは、
http://www.snb.ch/e/index3.html
2005年02月08日(火) 天気は 晴れ *** 0580
今日の天気も晴れ。
朝のうちは、午前8時の気温がマイナス5度だったものの、午後には雪が溶けるくらい暖かい気温だった。
晴天なので、スキー焼けるくらいである。

さて、ニュースから・・・
『海外ニュース - 2月8日(火)12時7分      ヨットで単独世界一周、英国人女性が最短記録を樹立
   【ロンドン=飯塚恵子】ヨットで単独世界一周に挑戦していた英国人女性、エレン・マッカーサーさん(28)が7日、出発地の
仏西部ウェサン島沖へ帰還し、71日14時間18分33秒で世界最短記録を樹立した。
   これまでの記録は、フランス人男性のフランシス・ジョワイヨン氏が昨年2月に作った72日22時間54分22秒で、過去の
記録を約20日間も短縮したと話題になった。マッカーサーさんがこれをすぐに破ったのは驚異的だという。
   マッカーサーさんは、悪天候でマストが壊れたり、クジラと衝突しそうになったりするなど、数々の危機を乗り越えて航海を
続行。最終盤の7日には強い風に助けられ、一気に記録を打ち立てた。
航海を終えたマッカーサーさんは「本当に信じられない。肉体的、精神的にも信じられない航海だった」と喜びを爆発させた。
      (読売新聞) - 2月8日12時7分更新』
小さな船である。これで単独世界一周で、しかも新記録である。すごいね〜。
チーム・メランのHP
http://www.teamellen.com/

そして、もう1つ。
『海外ニュース - 2月9日(水)1時40分      イスラエル・パレスチナ両首脳、相互に停戦を宣言
   【シャルムエルシェイク(エジプト東部)=長谷川由紀】イスラエルのシャロン首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長
との首脳会談が8日、当地で行われ、両首脳は4年にわたる武力衝突を終結させるため、相互に停戦を宣言した。
  イスラエル・パレスチナ両首脳の会談は2000年10月以来初めて。
両首脳とも、米国主導の和平案「ロードマップ(行程表)」履行に向け、「この好機を逃してはならない」との決意を表明。
停滞していた中東和平プロセスは、再生に向けて一歩を踏み出した。
(中略)
   2000年9月に始まった、パレスチナ人の第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)と、これに対するイスラエルの反撃
という暴力の連鎖を断ち切る決意を双方が示したことで、ロードマップ推進に弾みがつきそうだ。アラファト前議長を対話相手
にしない、としてきた米政府も、両首脳を3月にもワシントンに迎えて和平を仲介する意欲を示しており、和平推進に向け、
かつてない好環境も整った。
   エジプトのムバラク大統領は会談後、「中東全体の和平という最終的な目標実現には、レバノン、シリアを含めた和平を
構築する必要がある」と述べ、今後、包括的な和平プロセスにつなげていきたい考えを示した。
   ただ、今回の合意は暴力停止など、交渉再開への条件に限定されたもので、アッバス議長が「今日の会談ですべての
問題が解決したわけではない」と認めた通り、交渉の即時再開につながるかどうかは不透明だ。
  エルサレムの帰属や難民帰還を巡る問題など、和平交渉の焦点となる分野については、両者の隔たりは解消されていな
い。停戦についても、いずれも相手の暴力停止を前提とする姿勢には変わりはなく、武力衝突再燃の危険は残っている。
      (読売新聞) - 2月9日1時40分更新』
中東問題が少しでも平和に近づくことはいいことだ。記念すべき日だと思う。
一日も早い全面的な和平を望む。
2005年02月07日(月) 天気は 晴れ *** 0579
今日の天気も晴れ。

今日は、22名のグループを連れて、フィルストのゲレンデに行く。
ゴンドラは、まだ時間が早かったので並ぶこともなくスムーズに乗れたが、午前10時頃には、行列がホテル・サンスター前
の道路まで列ができていたそうである。
フィルストでは、どのリフトも通常よりも多くのスキー客で混んでいた。
が、雪質は良く、無風状態で、雄大な景色を見ながらスキーをする事ができた。
満足である。。。。

さて、スイスのニュースから・・・
『カーニヴァル:ルツェルンで最良の日々がスタート  (Thu. 03.02.05 Smi)
  木曜の早朝5時に、ビッグバンとも呼ばれる伝統的な起床の鐘の音と共に、今年のカーニヴァルが正式に幕を開けた。
約1万人の見物人が、仮面をつけた人達の賑わいと130人の衣装を付けた楽隊が奏でるカーニヴァルの音楽を楽しむため
に、ルツェルンの旧市街に繰り出した。午後には「Fritschi-Zunft」が行進を先導したが、約25000人の見物人が通りを埋め
つくし、様々のテーマで飾られた40台の山車やカーニヴァルの音楽に興じた。
月曜日には「Wey-Zunft」の行進が予定されており、火曜日の晩にカーニヴァルの音楽隊の巨大なパレードで、カーニヴァル
はその幕を閉じる。』
http://www.luzerner-fasnacht.ch
バーゼルの「ファスナハト」が有名だが、ルッツェルンのも有名になってきている。
このカーニヴァルの期間、町を抜け出してグリンデルワルトにスキーをしに来る客も多いわけで、それがそのままスキー場
の人出と結びつくわけである。。。。
フィルストのレストラン(後方はアイガー) 賑わうスキー場(後方はヴェッターホルン)
2005年02月06日(日) 天気は 晴れ *** 0578
今日の天気も晴れ。
気温は、少しづつ上がっているようだ。

今日は、昨夜日本から到着した22名のグループを案内して、登山電車でクライネ・シャイデック〜メンリッヒェン方面をスキー
ガイドする。
スイスでは、昨日から「スキー休暇」の本格的なシーズンが始まった。
昨日は長男のアイスホッケーの試合があったので、トゥーンへ車で走ったのだが、ベルン方向から来る車の渋滞が凄かった。
み〜んな、スキーをするために、家族や友達達とスキー場へ向うのだった。
(ちなみに、試合は、対Olten/オルテンで、3対1で久しぶりに勝った/笑)

今日の登山電車も、クライネ・シャイデック付近も、どのスキーリフトも、人・人・人・・・・
並ばないと、乗れないのである。。。。あ〜あ・・・・。
このスキー休暇は、3月中旬まで続く・・・・・・

さて、「スタ誕」のダニエル君(グリンデルワルト出身)は、今夜も勝ち抜きました。
これで、残り5人となりました。
クライネ・シャイデック駅 ラウバーホルン・リフト乗場
2005年02月04日(金) 天気は 晴れ *** 0577
今日の天気も晴れ。
予報を見ると、しばらくの間晴天が続きそうです。
スキー休暇にやってきているお客様にとっては天気は大事ですからね。
よかった、よかった。。。。

さて、今日の地元の新聞に載った記事です。
『アイガー北壁初登頂者のアンデレル・ヘックマイヤー氏が98歳で亡くなる』
ドイツ人のアンデレル・ヘックマイヤー氏は、1906年にミュンヘンに生まれる。
若い頃から岩登りの名人として、スイスやドロミテで活躍していた。そして、各地の「北壁」を次から次に征服していた。
1938年には、他の3人のメンバーと共に初の「アイガー北壁」に挑み、これを成功させた。このルートは「アンデレル・
ヘックマイヤー・ルート」と命名された。
世界大戦後、ヘックマイヤー氏は登山ガイドとなり、1969年には世界的な登山ガイド協会をつくるべく努力した。
2001年の95歳の誕生日は、アルピグレン(グリンデルワルトからクライネ・シャイデックへ登山電車で上がる途中駅)で、
で祝福された。その後、2003年にもクライネ・シャイデックを再訪した。

ヘックマイヤー氏について、検索ページを開いてみたら、日本のマスコミも、この件について取り上げていた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20050203k0000e060029000c.html
http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodo_obituary.aspx?dateprev=0&summary=1
http://www.tokyo-np.co.jp/fuho/index.shtml
など。。。。

ヘックマイヤー氏の著書「アルプスの三つの壁」(朋文堂/アンデレル・ヘックマイヤー 安川茂雄訳)には、詳しく書かれて
いるので参考にして頂きたい。
なお、余談だが、ヘックマイヤー氏と一緒に登った3人のうち、オーストリア人の「ハインリッヒ・ハラー」氏は、「白い蜘蛛」と
いう本を出してベストセラーになった。その後、彼はドイツ軍兵士としてインドにて捕まり、逃走後チベットに行き、ダライ・ラマ
14世の個人教師となり、そこで過ごした7年間の本がハリウッドで「チベットの7年」として映画化された。
『新・白い蜘蛛』の訳者である長谷見敏氏のインタビュー記事が興味を引く。
http://world-reader.ne.jp/interview/hasemi001.html
2001年にグリンデルワルトを訪問した
「アンデレル・ヘックマイヤー」氏
1938年にアイガー北壁初登頂後の4人のメンバー
(左から2番目がハーラー氏、4番目がヘックマイヤー氏)
2005年02月03日(木) 天気は 晴れ 0576
今日、またまた晴れました。
真っ青な晴天です。
雪が降ったばかり、新雪を滑るにはサイコーの天気です。が、おやじは朝から歯医者に行きました。
今日は半年ごとの定期健診(コントロール)で、行きつけの歯医者から定期的に連絡が来ます。
特に痛いところはなく、レントゲン写真を撮り、歯垢を取ってもらうのが目的です。
我家は、全員が同じ歯医者です。
子供達の定期健診も、学校に医者が来るのではなく、かかりつけの医者に行って診て貰う方法となっています。
ですから、医者は家族全員の歯の状態を知っています。
我家のホームドクターは、インターラーケンに開業したての頃に、まず私が患者となり、次に家内が、そして長男と長女と
いう順番でかかりつけになりました。ですから、もう20年近くのお付き合いになります。

ところで、長女は今、小学校6年生です。
スイスでは8月が新学期ですから、8月からは中学校1年生(こちらでは7年生と言います)になります。
ただ、スイスには中学校はなく、7年生から9年生までは、2つのクラスに分かれます。
1つは「セコンダラー・シューレ」といい、進学コースです。高校や大学に行くためには、まずこの「セコンダラー・シューレ」に
入らねばなりません。全体の30〜40%の子供達が行きます。
(ただ、成績がいい子供達だけなので、10%以下の場合もあります)
残りの60〜70%の子供達は、「リアル・シューレ」に行きます。
(これも、そのクラスによっては、90%以上になる場合もあります。割り当てではないのですから)
この「リアル・シューレ」を出ると、職業学校などに進みます。

長女は、夢が「弁護士」なので、絶対に高校(ギムナジアム)を卒後し、大学(ウニバーシタート)も卒業しなくては、弁護士
にはなれません。(ただ、子供の夢ですから、いつコロッ!と変わるかもしれませんが・・・笑)
6年生の中盤に、前期の成績を照らし合わせて、「セコンダラー・シューレ」に行けれるか、「リアル・シューレ」に行くかを
決めます。(それが、現在のことです)
まず、担任の先生と子供との面談が行なわれました。
長女は、ある程度自信があったものの、やはり緊張していました。
面談が終わって帰ってくると、すぐに、面談の様子を話ししてくれました。そして、成績表を持って帰ってきました。
担任も、長女(本人)も、「セコンダラー・シューレ」に行ける成績があることと、本人に行く意志があるかを確認しました。
今度は、親がどうするか決めます。(長女が持って帰ってきた成績表に、親がサインをします)
担任、本人、そして親の意見が合えば、希望する「セコンダラー・シューレ」に行けます。
もし、3者の意見が合わず、親に不服がある場合は、「シューレ・コミュニティ」(学校委員会)に申し立てを行ない、「シュー
レ・コミュニティ」のメンバーが話し合い、決めます。
今回、もし成績が悪くても、これからの半年間(後期)、勉強を頑張って成績が上がれば、再度、3者が話し合いを行ない
「セコンダラー・シューレ」に行くラスト・チャンスもあります。
もちろん、その逆もあります。つまり成績が下がれば、「リアル・シューレ」行きになったり、落第することもあります。
(ですから、長女もこれから頑張らないと、落第する可能性もあります)

しかし「セコンダラー・シューレ」のクラスに入っても、途中の成績が下がれば、落第や「リアル・シューレ」行きもあります。
また、「セコンダラー・シューレ」の9年生が終わるとき、高校に行けるのは数人のみとか、年によっては「0」ということもある
そうで、スイスでは高校に行くのは大変難しいのです。
高校に行かない子供達は「高等専門学校」に入り、職業の専門家になるために、高等教育を勉強するそうです。
いや〜、日本の子供も大変でしょうが、スイスの子供も大変だと思います。

「今月の写真」更新しました。ご覧になってください。
2005年02月02日(水) 天気は 曇り/雪 *** 0575
今日の天気は、曇り時々雪。
イマイチの天気だった。

さて、ニュースから・・・
『アメリカ人が一番好きな俳優って誰?
  米ハリス・インタラクティブ社が行ったアンケート調査で、04年度の「一番好きな映画俳優」に選ばれたトム・ハンクス
 米ハリス・インタラクティブ社が行う毎年恒例のアンケート調査で、トム・ハンクスが04年度の「一番好きな映画俳優」に
選ばれた。前年度1位、2位を占めていたメル・ギブソンとジュリア・ロバーツがそれぞれ1ランク落ちて2位、3位と続き、
ジョニー・デップが前年度の10位から急上昇して4位の座についた。
メル・ギブソンはこのアンケート調査が始まった93年からずっとトップ5入りしており、ジュリア・ロバーツは過去4年連続で
トップ4をキープしている。ジョニー・デップはヒスパニック系と18〜29歳の投票者の間では一番人気だった。
民主党支持者はトム・ハンクス、共和党支持者はメル・ギブソン、無党派層はロビン・ウィリアムスを「一番好きな俳優」に
選ぶという面白いデータも出ている。
なお、ジョン・ウェインは79年に他界しているにもかかわらず、アンケートが始まって以来ずっとトップ10内に留まっている。
1位から10位は下記の通り。
   1. トム・ハンクス        2. メル・ギブソン           3. ジュリア・ロバーツ      4. ジョニー・デップ
   5. ハリソン・フォード    6. デンゼル・ワシントン      7. ジョン・ウェイン         8. クリント・イーストウッド
   9. ショーン・コネリー    10.ジョージ・クルーニー        [ 1月12日12時10分 更新 ]』
だそうだが、皆さんは誰が好きですか?
おやじは、この中で言うと、やっぱり「トム・ハンクス」かな〜。
理由は、どこにでも居そうな人だから。
中学生の頃は「アラン・ドロン」が好きだったんだけど・・・・

女性は、昨日も書いた「オードリー・ヘップバーン」の若い頃がいいな〜。
日本人では、男優は特にないのだが、女優では「黒木 瞳」さんが、好きな女性である。
しかし、アメリカ人が「ジョン・ウェイン」が好きなのは、分かるよな〜。
なんたって、アメリカの開拓の歴史だもんね。。。。。アメリカ人の”心の故郷”だよね。。。。
2005年02月01日(火) 天気は 雪 *** 0574
さあ、今日から2月です。
早いですね。

昨日の夜から雪が降り始めていた。そして、今朝も雪降り天気が続いている。しかも、風が強そうだ。

今日は、5人のお客様を連れてスキーガイドに行く。
予定は、メンリッヒェン・バーンに乗って、メンリッヒェン〜クライネ・シャイデックへと移動する予定だったが、強風のために
メンリッヒェン・バーンが止まっていたので、登山電車でクライネ・シャイデックへ行く。
雪が激しく降り、また風も強く、ガスも掛かっており、滑りにくい状態だった。
でも、ラウバーホルンを中心に、ロングで3本滑り、最後はグルントまでの10kmコースを滑って下りてくる。

さて、スイスのニュースに、あの「永遠の妖精」 オードリー・ヘップバーンの記事が載った。
『オードリー・ヘップバーンは、英国人の父親とオランダ人の母親を持ち、ベルギーで生まれた。
「ローマの休日」「サブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディー」などの主演で、有名になる。
幼年時代は貧しく、2度離婚を経験し、うつ病に何度か悩まされた一方で、女優としては次々と成功を収めていく。
30年間スイス、ローザンヌに近いトロシェナに住んだ。晩年には、ユニセフ親善大使として貧しい子どもたちを救うため
全力を注いだ。
オードリー・ヘップバーン記念館は、2002年10月から、遺族の意向により残念なことに閉鎖されたままである。』

おやじの好きな女優さんの1人である。
やはり「ローマの休日」は、最高の映画である。
この映画に出演しているオードリーは、とてもチャーミングで、可愛い。
何度見ても、最高の映画である。。。。。(笑)
この「オードリー・ヘップバーン記念館」に、2度行った。
1度目は、家族と共に行った。
記念館は開館日なのに閉まっていたので、連絡先に電話して特別(?)に開けてもらった。
そして、やってきた係りのおばさんが、我々に付きっきりで全ての展示物を案内してくれた。
(後半は聞くのが疲れたが。。笑)
そして、お墓を見て、住まいの邸宅も外から見た。

2度目は、「グリンデルワルト・クラブ・ツアー」の日程の中で、行った。
すでに記念館は閉鎖されたあとだったので、中には入れなかったが、建物の外から見た。
そして、お墓に参り、邸宅も外から見た。

記念館が閉鎖になった理由は、オードリの遺族と記念館を管理する人との間の意見が合わなかったそうだ。
詳しいことは知らないが、しかし、オードリー・ファンのためにも、記念館の再オープンを期待したい。

今時の人には、オードリー・ヘップバーンを知らない人のほうが多い。(日本人にもスイス人にも・・・・)
残念だな〜。
「永遠の妖精」 オードリー・ヘップバーンの記事は、
http://www.swissinfo.org/sja/swissinfo.html?siteSect=105&sid=5359705
オードリー・ヘップバーンの詳細は、
http://www.paoon.com/star/506.html