おやじの つぶやき

グリンデルワルトに住む、安東一郎=おやじ が、特にテーマもなく、毎日の変化、
行動、思い=気持ち、その他を とりとめなく、つぶやくコーナーです。
多少、個人的、傾斜的、一方的、一面的、勝手気ままに書いていますが、お許しを。
この「おやじの つぶやき」についてのご意見がありましたら、「ここ」へ.。
ご批判、激励、賛同、反対、その他、なんでもOKです。
(但し、匿名のメールは無視しますので、お名前をちゃんと書いて来てくださいね)

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「おやじのつぶやき」(2004年07月分) 「おやじのつぶやき」 表紙 「おやじのつぶやき」(2004年09月分)

2004年08月31日(火) 天気は 晴れ/曇り *** 0424
今日の天気は、晴れ時々曇り。
な〜んとなく、秋の空になっていた。あ〜あ、夏も、もう終わりか〜〜〜〜。。。。

『<フェニックス>再生機構に支援要請へ 主力のスキーが低迷
 「PHENIX」ブランドで知られる大手スポーツ用品メーカー、フェニックス(本社・東京都渋谷区、田島和彦社長)は29日、
産業再生機構に経営再建の支援要請を行う方針を固めた。再生機構は30日にも産業再生委員会を開き、支援を正式決定
する。
 フェニックスは1953年3月の設立。主力のスキーウエア部門では、国際スキー連盟(FIS)の「FIS」マークを使う商標独占
使用権許諾契約を同連盟と結ぶなど、老舗として知られている。「PHENIX」ブランドのほか、トレーニングウエアの「Kappa」
など、知名度の高いブランドを数多く展開するほか、奥志賀高原(長野県)でホテル経営も手がけている。
 しかし、長引く不況で主力のスキー部門の販売が低迷。大胆なリストラ策なども実施してきたが、新たなブランド展開が成功
せず、民間信用調査会社によると03年5月期の売上高は98年同期比約2割減の197億円と落ち込んでいた。
 また、取引先の大手スポーツ用品店の倒産で財務内容も悪化し、今後、新たな商品分野への進出、ヒットブランド創出への
前向きな投資に取り組むためには、再生機構の支援が不可欠と判断した。
【須佐美玲子】(毎日新聞) - 8月30日3時7分更新』

ショッキングなニュースだった。
フェニックス社とは長年のお付き合いがある。
いや、会社もそうだが、創立者である田島一男会長とのお付き合いである。
田島会長は、1906年生まれである。
1918年(12歳)に、初めてテニスを始める。(第1次世界大戦終了)
1920年(16歳)に、美津野鞄結梹x店に丁稚奉公として入社。細川公爵と出会い、テニスをし、初めてゴルフをする。
             (日本が国際連盟に加入)
1923年(17歳)に、赤城山で猪谷六合雄氏と出会う。
1924年(18歳)に、細川公爵の勧めでスキーを始め、赤倉(新潟県)へ行く。(第1回冬季オリンピックがシャモニーで開催)
1926年(20歳)に、第1回美津野スキー講習会で北海道へ行く。(大正天皇崩御)
1927年(21歳)に、スキージャンプを始め、無名の高原で練習。そこがやがて、志賀高原と命名される。
1928年(22歳)に、志賀高原で初めてのスキー講習会を開催。カヌーを始める。
             (第2回冬季オリンピックがサン・モリッツで、第9回夏季オリンピックがアムステルダムで開催)
1929年(23歳)に、カヌーを購入。ハングライダーに挑戦。(清水トンネル開通)
1930年(24歳)に、第5回明治神宮体育大会(国体)競技に出場。ハンネス・シュナイダーに出会い、個人教授を受ける。
             セルロイド・エッジ・スキーを開発。(特急「つばめ」運転開始)
1931年(25歳)に、鉄道省のスキー教師となる。白馬でセルロイド・エッジ・スキーを試走。(満州事変)
1932年(26歳)に、カンダハーを試作。立山でチッソライト・ベークライト・スキーを試走。(5.15事件)
             (第3回冬季オリンピックがレークプラシッドで、第10回夏季オリンピックがロスアンジェルスで開催)
1933年(27歳)に、ウィルソンのゴルフのエージェントを取得。(日本は国政連盟を脱退。ニューディール政策開始)
1934年(28歳)に、グライダーを購入。日本初のキャンピング・ストアを由比ガ浜に出す。(室戸台風)
1936年(30歳)に、ベルリン・オリンピック大会にカヌー部門で招待される。が、個人での参加が出来ず、幻の招待状となる。
             (第4回冬季オリンピックがガルミッシュ・パルテンキルヒェンで、第11回夏季オリンピックがベルリンで
              開催。2.26事件)
1937年(31歳)に、セルロイド・エッジ・スキーが、第1回全日本アルペン・スキー選手権大会で優勝。(日華事変)
1939年(33歳)に、グライダーを作る。(第2次世界大戦勃発)
1945年(39歳)に、特攻滑空機「神竜」を作る。(日本が敗戦)
1946年(40歳)に、ドッジ・ボールを作る。(労働組合法、婦人参政権、吉田内閣)
1948年(42歳)に、猪谷千春氏、田島宅に来て下宿する。
             (第5回冬季オリンピックがサン・モリッツで、第13回夏季オリンピックがロンドンで開催)
1949年(43歳)に、ピジョンボールを作る。水上スキーに挑戦。(全米水泳選手権大会で古橋氏優勝。湯川秀樹氏がノーベル
             賞受賞)
1950年(44歳)に、室内ゴルフ練習場を開く。(朝鮮動乱)
1951年(45歳)に、プラスティック・スキー完成。(日本航空設立。白井義男氏ボクシングの世界チャンピオン)
1952年(46歳)に、ミヅノ退社し、鳳商会を起こす。
             (第6回冬季オリンピックがオスロで、第15回夏季オリンピックがヘルシンキで開催)
1953年(47歳)に、ナイロン製のアノラックを作る。(NHKテレビ放送開始。エベレスト初登頂)
1955年(49歳)に、スラローム用のヤッケを作る。マーカーのビンディングとヘッドのスキー板と出会う。
1956年(50歳)に、猪谷千春氏が、第7回冬季オリンピックのコルチナ・ダンペッツォで銀メダルを獲得する。
1957年(51歳)に、キルティングを作る。日本で初のワールドカップ(スキー)が開催される。(昭和基地設定)
1959年(52歳)に、トニー・ザイラー氏が来日。(皇太子ご成婚)
1962年(53歳)に、初めてシャモニー(フランス)に行く。その帰りに初めてグリンデルワルトを訪れスキーをする。
             (スキーの世界選手権大会がシャモニーで開催)
1964年(58歳)に、東京オリンピック選手村に売店を設置する。
             (第9回冬季オリンピックがインスブルックで、第18回夏季オリンピックが東京で開催)
1967年(61歳)に、社名を「フェニックス」に変更する。(ユニバーシアード東京大会開催)
1968年(62歳)に、日墺スポーツ用品協会会長に就任。
             (第10回冬季オリンピックがグルノーブルで、第19回夏季オリンピックがメキシコで開催)
1972年(66歳)に、「フェニックス」会長となる。
             (第11回冬季オリンピックが札幌で、第20回夏季オリンピックがミュンヘンで開催)
1979年(73歳)に、4000mのエベネフリューからアレッチ氷河をスキーで奥様と一緒に滑る。
1980年(74歳)に、5回目の怪我をする。(初めての怪我は、1947年の41歳)
1981年(75歳)に、米国のNASAと契約を結ぶ。
1982年(76歳)に、本社を千駄ヶ谷へ移転。創業30周年を祝う。
1985年(79歳)に、第1回フェニックス・クリスタル・トロフィー杯スキー大会をグリンデルワルトで開催。
             この頃、初めて会長を知りました。
                                               (会長の自伝「これがスポーツ人生だ」より抜粋)
・・・・・・・
2000年(93歳)02月05日に、メンリッヒェンで我が家の子供たちと一緒にスキーをしました。これが、会長がグリンデルワルト
             での最後のスキーとなりました。
2002年(95歳)03月04〜05日に、奥志賀高原で会長と一緒に子供たちもスキーをしました。子供たちにとって初めての
             日本でのスキーであり、会長との最後のスキーとなりました。
2003年(96歳)06月03日に、永眠されました。(2週間前まで電話で話しをしたのですが・・・・)

我が家の子供たちにとっても、会長は「おじいちゃん」(「たじま・じじ」と呼んでいました)でした。
勿論、我々にとってもいろいろとお世話になった恩人です。
その会長が作って、大きくしてきたフェニックスが。。。。。
会社名は残るとはいえ、非常に残念であり、悲しいです。
2004年08月30日(月) 天気は 晴れ *** 0423
今日の天気も晴天だった。

昨日、つぶやいたブラジル選手の談話。
『それまでは自分が強い感じがしていたのに、それが途切れて、金メダルを失った。
相手がナイフを持っているとか分からなかったので、怖くて仕方なかった』
『あの観客が私の前に飛び出してこなかったら、私が優勝していたかもしれない。
彼が私に何をしたのかは分からなかった。とても怖かった。リズムを失い、取り戻すのが難しかった。
五輪のために練習を十分にしてきた。銅メダルが取れて、とても幸せだ』
そうだよね〜〜。

ハンマー投げの室伏選手が銀から金メダルに。
『国際オリンピック委員会(IOC)理事会は29日、陸上男子ハンマー投げ(22日実施)で金メダルを獲得したアドリアン・
アヌシュ選手(31)(ハンガリー)が、27日の再検査期日に指定場所に出頭しなかったため検査拒否と認定、規定に照ら
して陽性とみなし、金メダルをはく奪し、五輪から追放する処分を決めた。
  これにより、同種目で2位だった室伏広治選手(29)(ミズノ)が、1位に繰り上がって金メダルを獲得する。
  室伏選手は29日、アテネ市内で記者会見し、「金メダルという形を残すことができ、本当にうれしく思う。(金メダルを)
表彰台で直接受け取りたかったのが本音だが……」と、やや硬い表情で話した。  (読売新聞) - 8月30日2時57分更新』

とのこと。
そうだよね。やっぱり表彰台で受け取りたいよね。
じゃ、競技終了後すぐの表彰式は止めて、こうすればいいんだよ。
1)競技終了後、委員立会いの下で、上位選手の尿の提出。(隠さないため、他人の尿とごまかさないため)
2)すぐに尿の検査。(いまどきの技術を持ってすれば、すぐに結果が分かるんでしょう?)
3)検査で白、黒がはっきりしたところで、表彰式。
  もし、灰色に近い場合は、再検査。(だから、尿提出後でもすぐに帰らないようにしておく)
4)尿の提出を拒んだり、再検査に応じない場合は、その場で失格とする。

あとは、タイムレースでない「審査する競技」。
あれも、なんとかならないものだろうか?
審査員の人格と、考え方と、その他モロモロで変わる点数。
体操の男子個人競技で、ロシア選手の鉄棒競技。
困難そうな技を沢山出したにも関わらず審査員の点数が低い。
場内はブーイングの渦。しばらくブーインが続き、競技が続行出来なくなったので、審査員が検討の結果、点数を変えた。
その後のアメリカ選手の点数が一挙に高得点に。
「競技中に点数が変わるのを始めて見た」という日本人選手の談話を聞いたが。。。。。
あんなのアリなの?
な〜んか、変だよね。。。。。競技を審査して決めるって。。。。
2004年08月29日(日) 天気は 晴れ/雨/晴れ/雨 *** 0422
今日の天気も晴天だった。
が、午後に突然ドシャ降りの雨。その後、晴れ間になり、夕方からまた雨。変な天気だった。。。。。

アテネ・オリンピックが終わった。(先ほどまで「閉会式」をライブで見ていた)
夕方に行なわれた男子マラソン競技。
35km地点でトップランナーはブラジルの選手。2位のイタリア選手との差を40秒ほど空けて走っていた。
3番目にはアメリカの選手、4番目はギニア、と続いていた。
と、突然、先頭を走っていたブラジル選手に暴漢が襲ってきた。
暴漢は、選手を歩道の方に押しやり、一緒に転んだ。
すぐに、周りの観客や警察官などが暴漢を取り押させ、ブラジル選手は競技に戻っていた。
しかし、そこでタイムラグが生じた。
さらに、ショックでだろう、ブラジル選手のペースが落ちた。
(疲れていたとはいえ、同じペースで走らねばならないマラソンである。暴漢によってペースが狂ったように、私には思える)
逆に、2番目のイタリア選手のペースが速くなり、ブラジル選手との差は11秒、8秒・・・ついにブラジル選手はイタリア選手に
抜かれた。更に3番目のアメリカの選手にも抜かれてしまった。
先ほどまでトップだったブラジル選手は、あっという間に3位に後退してしまった。

やがてオリンピック会場に到着。
1位はイタリア、2位はアメリカ。そして、3位にブラジル選手がゴールした。
3位でもブラジル選手は喜んでいた。
あの時、ブラジル選手が怪我をし、或いは、4位以下に後退してしまっていたら・・・・
きっと、オリンピックを目標に長年頑張ってきたブラジル選手にとって、悪夢になっただろう。
一生悔しい思いをするであろう。

一生懸命頑張っているのに、邪魔をするとは許せない!
ただ、画面で見た限りでは、暴漢の服装はイタリア・カラーだったように思うのは、私だけであろうか。。。。。

そのあとに行なわれた「閉会式」
早速、男子マラソンの表彰式が行なわれた。
世界中で何億人という人が見ている表彰式で、あのブラジル選手が表彰台に上った。
おやじは、素直に「よかったね〜」と思った。

開会式も、そして閉会式もいい演出だったと思う。
あの、花火。すごい花火。
照明の演出。人間の演技。
やはり、ヨーロッパだと感心した。
で、比較したくないけど比較してしまう、日本の長野オリンピック。
夏の大会と冬の大会の違いはあるにしても。
萩本欣一氏が司会。しかも日本語での司会。
あれは、なんだったんだろう?
世界中が見ているオリンピックで、なんで萩本氏が司会をする必要があったのだろう。
オリンピックは、「欽ちゃんの仮装大賞」じゃないんだから・・・
失礼ながら、長野オリンピックを演出した人の感性を疑います。

4年後の2008年には、中国の北京で。
この前のサッカー大会でブーイングされた日本と、した中国。
一体、どうなることやら。
楽しみでもあります。
2004年08月28日(土) 天気は 晴れ *** 0421
今日の天気も晴天。山が綺麗だ〜〜〜。

今、おやじは「グリンデルワルト・クラブ・ニュース」を自宅でシコシコと作成している。
この原稿を作り、印刷屋さんで印刷してもらい、それから2つに折って、封筒に入れて、郵便局から送る、、、という作業を行なう
のだが。。。。
インターネットやEメールなどが主流になり、手軽になったとはいえ、郵便で送られてくる「グリンデルワルト・クラブ・ニュース」を
心待ちにしてくれているクラブ会員も大勢居る。
だから、止められない。

世界のニュースが瞬時に、手軽に分かる今も、やはり毎日家庭に配達される新聞を楽しみにしている方も多いだろう。
私も、きっとそのうちの一人だと思う。
インターネットは手軽だけど、その内容は、心にも頭の中にも残らない。
新聞や週刊誌の活字のほうが、読んだ気がするし、なんとなく頭の中に残っているような気になる。。。。
ただ、最近は、頭や身体の老化と共に、記憶力の低下が著しいので、余り関係ないかもしれないが。。。。(苦笑)

ところで、スイスのニュースから・・・
『特別:木製のスイス切手 (Thu. 05.08.04 Smi)
 2004年9月7日に、スイス郵便の歴史でも初めて、木製の切手が発売される。
5フラン(約430円)の特別記念切手はスイスの木から作られるが、切手の厚さは0.7ミリで、アアルガウ州の樹齢120年の
最高級のトウヒ(モミの一種)を原料とする。同特別記念切手の数には限りがある。
http://www.post.ch/SiteOnLine/DE/Accueil/1,1727,18199,00.html
とのこと』

どうですか? 記念に1枚買われたら?
でも、どうやって封筒に貼るんだろうな〜?
切手の重さで、封筒に貼る切手の金額が更に増えるんじゃないの? な〜んて、心配になるな〜おやじは・・・・・。
2004年08月27日(金) 天気は 晴れ *** 0420
今日の天気は、またまたうって変わっての晴天。白く新雪の被った山は美しい!!
昨日の結婚式のお二人がかわいそう〜〜〜。
(到着日と、今日の自由日が晴天で、昨日の結婚式当日だけが悪天候だった。。。。あ〜あ。。。。)

去る7月下旬にグリンデルワルトで取材した大阪毎日放送の「知っとこ」の番組が、08月21日(土)に放送され、そのテープが
テレビ局から届いた。
この番組の中に「世界の朝ごはん」というコーナーがあり、そこでグリンデルワルトの新婚さんの朝ごはんが紹介される内容で
ある。もちろん、グリンデルワルトやユングフラウヨッホなどの場所も紹介されるのである。
3日間、あちこちで撮ったのに、グリンデルワルトが紹介されたのは、ほんの13分ほど。
まあ、テレビではよくある事なので、驚きはしないが。。。。。
しかし、しっかりと記録したはずであろう(?)名前が間違っているし、テロップが少ない。
*アルプ・ケーゼ(正しい) → アルプ・カーゼ(間違い) / 山チーズのこと
*アレッチ氷河は、ヨーロッパ最大の氷河(正しい) → スイス最大の氷河(間違い)
*アイガー、メンヒ、ユングフラウなどの山の名前が一切ない。
*アルプホルン演奏者と登山電車の運転手が同じなのに、何のコメントもない
などなど。。。。。(残念だ〜〜)

なお、この番組に登場した新婚さんの奥さん(フランチスカ・レーマン)は、おやじが去る30年前にグリンデルワルトのフィング
シュテッグのレストランでアルバイトしているとき、5歳の子供だったのだ〜〜〜〜。
(おやじは、そのとき20歳だったのだ〜〜〜笑)
2004年08月26日(木) 天気は 雨 *** 0419
今日の天気は、うって変わっての雨模様。しかも山沿いでは雪が降っていた。
結婚式がフィルストのセント・ペトロネッラであったのだが、そこは一面雪景色だった。
あ〜あ、ざんねん。。。。。

スイスのニュースから・・・
『スイスレスリング祭華やかに開幕 (Sat. 21.08.04 Smi)
 3年に一度だけ開催される「連邦シュヴィング・山岳民族祭」は金曜日の午後、観光都市ルツェルン市内の行列で始まった。
華やかな飾付けと衣装の牛、ヨーデル歌手、民族衣装のグループ、セントバーナード犬、アルプホルン奏者、そしてシュヴィ
ング選手の行列は国内外のおよそ2万人の観衆の喝采を浴びた。
ルツェルン市はお祭り好きで知られ、組織委員会の会長はルツェルン州政府の議員でもある。3000人を越す市民が何ヶ月
にも渡ってこの一大行事の準備に携わってきた。スイスの新シュヴィンガー王には賞品として体重1,000kgを超える
「ピラトゥス」という名の牛が贈られる。
http://www.luzern2004.ch/internet/default.asp
そうだ』

「シュビンゲン」。日本語では「スイス相撲」と訳されることが多い。
昔、日本のテレビの取材をしたことがあるが、日本の相撲と違うところは、
*土俵ではなく、おがくずを敷いた円形で行なわれる
*勝ち抜き選で行なわれる
*裸ではなく、服を着た上に半ズボンを穿く(これがまわしの代わりになる)
*試合開始前にも終了後も、お互い握手する
*両肩が付いた時点で負ける(レスリングに似ている)
*勝った選手は負けた選手の背中のおがくずを除いてあげる
*優勝者には、牛1頭がもらえ、その他の選手にも、様々な家庭用品が賞品としてもらえる
要は、昔からの「力くらべ」である。若者は揃って参加する。
でも、今でも勝てば村の英雄である。
2004年08月25日(水) 天気は 晴れ 写真 0418
今日の天気は、うって変わっての晴天。
すがすがしい朝だった。

昨日、今日と2日間、某補聴器メーカーの季刊誌の取材でグリンデルワルトを中心に回っている。
今朝は、天気が回復したのでブスアルプに車で上がり、アルペンホルン奏者の撮影をする。

夕方から、インターラーケンにある「フォークローレ・ショー」の取材に行く。
食事しながらスイス民族音楽のショーを楽しむという内容である。
音楽ショーが始まったのが午後7時すぎ。
それ以前に会場に来ていた韓国人の団体さんは、自分たちの食事が済むや否や、早々と会場をあとにした。
舞台では、今が一番という出し物の最中なのに。。。。。(ア然)

その後、舞台前に陣取っていた4組ほど居た日本人団体さんの一部のグループが、やはりショーの最中にも関わらず、
席を立って出て行ってしまった。
残った別の日本人の団体さんや一部の個人客は最後まで見ていたが。。。。

なんというマナーなんだろう。
演じている人に対して大変失礼だと思うが、如何だろうか。。。。。
特に、食事が終わるとさっさと出て行った韓国人の団体。
ショーを見たくない、興味がないのだったら、最初から普通のレストランで予約すればいいんじゃないの?
な〜んで、わざわざ「スイス・フォークローレ・ショー」のあるレストランで予約したんだろう。。。
まったくもって非常識だとおやじは思うのである。。。。。
(写真参照)
2004年08月24日(火) 天気は 雨/曇り *** 0417
今日の天気は雨、曇り、そして所々で雷が鳴っていた。

スイスのニュースから・・・
『モーターバイクの売行き上向く (Fri. 20.08.04 Smi)
 モーターバイクの売行きは今年7ヶ月を昨年に較べると8.8.%伸びているが、スクーターは落ち込んでいる。
当局に新規登録申請された台数によると、この期間モーターバイクは19、163台売れた。中でも500ccから750ccの型に
需要が多い。特定のスクーターの売行きが低調なのは変わりやすい天候にも原因があるようだ。
(出展:ゾロトゥーン二輪車販売組合SFZ)』

スイスにも沢山のライダーが夏の時期に集中する。
人気は、峠越えである。曲がりくねった峠道を体を倒しながら曲がって走って行く。
高校生時代に125ccに乗っていたおやじも、その後単車には一度も乗っていないが、ライダーの爽快感は理解できる。
よく、ツーリングと称してあちこち走り回ったものだ。

スイスに来るライダーたちは、スイス人以外にも、ドイツ人、イタリア人などツーリングを兼ねて週末とか、休暇の時期にやって
くる。
あくまで、ライダーなので、暴走族ではない。
音もガンガンと爆音は出さない。

日本と大きく違うのは、
大型の単車だから安くはない。だから乗る年齢層が高い。
みな、黒い皮のライダースーツを着ている。勿論ヘルメットも着用している。
そのヘルメットやスーツを脱ぐと、下には、禿げた頭や、大きく出たお腹がある。。。。(笑)
2004年08月23日(月) 天気は 晴れ *** 0416
今日も天気は快晴。

弊社のカウンターには、シーズン中には多くの日本人が訪れる。
パンフレットだけもらう人。質問だけする人。ホテルなどの予約をする人。乗車券などを買い求める人。
まあ、様々である。
しかし、中にはひどい日本人も居る。
ミールクーポンの見本として書いたメニューの一覧表がある。ビニール・ファイルに入っている。
今日、なくなっていた。
「あんな見本盗ってどうするんだろう」と思うものなのに、ファイルからしっかりと抜かれていた。

各種ガイドブック類を陳列してある棚がある。
普通に置いていると、「無料」だと思って(?)、あるいは故意に(?)なくなる事が多かったので、見本誌にビニールをかけて、
裏側をガムテープで止め、日本語で「剥がさないで下さい」と大きく書いているにもかかわらず、剥がす人が居る。

グリンデルワルト・オリジナルの香水がある。
見本用に男性用と女性用と2個。それぞれ鎖をつけて置いてある。
ある日、その1つが無くなっていた。しかし、鎖はしっかりと残っていた。

混雑するカウンター、あるいは、人が少ない時を見計らって盗むのだろうか。。。。。
いやはや、一部日本人のモラルの悪さには呆れてしまう。。。。。

スイスのニュースから・・・・
『スイス人の好きな食品はチーズ (Fri. 13.08.04 Smi)
 昨年度スイスのチーズ消費量は記録を更新して、国民1人当り19.9kg消費した。
2003年夏は記録的な猛暑にもかかわらず消費量の新記録を達成、合計149、509トン売り上げた。その内78.7%は
国内産チーズだった。1人当りの消費量が最も多かったのはモッツォレッラ、マスカルポーネ、クヮルク等の「生チーズ」の
種類で6.1kgだった。2位はアッペンツェラー、ラクレットゥ、ティルスィター等に代表される「半硬チーズ」で5.7kg。
グリュィエール、エンメンタールは1人当り3.6kg。
チーズの種類別1人当りの消費量はモッツォレッラが2.2kgでトップ、続くのがグリュィエール・チーズ1.6kg、ラクレットゥ・
チーズ1.4kgとなっている。(出展:スイス・チーズ組合KOS)』
やはり、スイス人はチーズが好きなんですね〜〜〜〜。
2004年08月22日(日) 天気は 晴れ *** 0415
今日は、一転しての快晴。すがすがしい朝だった。

大手某H旅行会社のハイキング・ツアーを連れてユングフラウヨッホへのガイドに行く。
総勢16名。
スイス各地を回る豪華なツアーである。(料金は知らない)
ユングフラウヨッホへ向かう電車内。
ガイドである私は山の話しなどをするのだが、山のことなど関心のない客が多い。
何を話しても、反応がない。あ〜あ。。。。
帰りの電車内では、添乗員さんとお客さんが
「和歌山の温泉は、どこがいいかね〜?」
「そりゃ〜、○○温泉の○○旅館がいいわね〜」と、大声で会話していた。
しかも、延々と話しは続いていた。。。。。。
ここは、スイス。
スイスまで来て和歌山の温泉なんぞの話しをしなくてもいいだろうに・・・・(と、思う)

さて、昨日作ったカレーライスとアップルケーキ。スタッフから「おいしい。おいしい」と褒められた。
いい気分であ〜る。。。。(笑)
2004年08月21日(土) 天気は 雨/晴れ 写真 0414
今日は朝から天気が悪く、山では雪が降っていたが、やがて晴れ模様に変わった。

明日の夜、我が家で会食会を開くこととなった。
夏の間働いてくれたコンピューターの担当者が帰国するため、「送別会」を開くのだ。
いつもは、家内が料理するのだが、今回はなぜか私に指名が回ってきた。
そして、スタッフも全員が私の手料理を希望している。
そこで、久しぶりに私が料理することとなった。
メニューはカレーライスとアップルケーキ。
今までも何度かカレーライスは作っているが、あくまでも家族の食事であり、他人に食べさせたことはない。

仕方なく、料理を始めたのだが・・・・・・。
玉ねぎは、ご存知のように、細かく刻んでいると目が痛くなる。
そこで、目が痛くならない方法は?と、考えた結果。
「水中メガネ」なら、何も入ってこないだろう・・・と。
そして、水中メガネをかけて玉ねぎを刻んだ。
さすが、的中!
目はしみない。やった〜〜!!
でも、ちょっとメガネの周りが痛かった。。。。(笑)

アップルケーキは、30年前にグリンデルワルトのレストランでアルバイト中に毎日作ったことがある。が、それ以来である。。。
家内のアドバイスをもとに、30年ぶりに作った。

完成後の「ひとこと」
カレーライスもアップルケーキも、まずまずの出来だと自負している。。。。(笑)
2004年08月20日(金) 天気は 曇り *** 0413
今日も、雲の多い天気だった。

フィルストでの結婚式があった。
フィルストのセント・ペトロネッラ・チャペルでの挙式であるが、ホテル・レギーナの主催で、弊社がアシスト、通訳、カメラなど
を担当している。
「スイスの大自然の中で!」「あこがれのスイス・アルプスで!」と、希望するカップルは多い。
弊社も予約を受け付けており、その際には「ヨーデルの歌声」や「アルプホルンの演奏」などをオプショナルで付けては
いかが?
と、ご案内するが、予算の関係か、何か別の理由で、なにもつけないで挙式するカップルもある。
確かに、景色は雄大、素晴らしい自然が舞台であるが、正直言って、ヨーデルの歌やアルプホルンの演奏などを付けたほうが
断然素晴らしくなる。
「まさに、スイス!!」と感激すること保障します。
ヨーデルを歌う方もアルペンホルンを吹く方も、親日的であり、共に思い出の挙式になるように協力してくれる。

ハワイの挙式では「ハワイアン・ウェディング・ソング」を聴くと、ハワイだな〜〜と、感動する。(私は感動した)
ぜひ、スイス・フィルストのセント・ペトロネッラ・チャペルでの挙式では、「ヨーデルの歌声」や「アルプホルンの演奏」などを
オプショナルで付けて頂きたいと、心から願うものである。。。。。
2004年08月19日(木) 天気は 晴れ/曇り *** 0412
今日の天気も、雲の多い天気だった。
夕方から激しい雨が降っていた。

日本のニュースから・・・
『 社会ニュース - 8月16日(月)21時14分      あれもこれも“変漢”ミス、公募の20例を公表
  「正解はお金です」と打ったつもりが「政界はお金です」――。
財団法人「日本漢字能力検定協会」が7月の1か月間、思わず笑ってしまうような漢字の変換ミスの例を一般から募集した
ところ約1600例が寄せられ、このうち特に面白いと同協会が判断した20例が16日、インターネット上で公表された。
  同協会が「“変漢ミス”コンテスト」と題して始めたこの試みは、IT化が進む社会で漢字を正しく使うことの難しさを、多くの
人に再認識してもらうのが狙い。
  来年5月まで、月ごとにユニークな変換ミスの例を募集し、ネット上の投票で「月間賞」や「年間賞」を決める。
  最初の募集となった7月は、「正解は……」のほか、「根気よく待ったかいがあった」が「婚期よく待ったかいがあった」、
「誤りの無いようにしなさい」が「誤りの内容にしなさい」――などのミス例が寄せられた。
  同協会では、これらの中から選んだ20例を来月14日までネット上に掲載し、第1回の「月間賞」を選ぶ。
  詳細は、同協会のホームページ(http://www.kentei.co.jp/)。
◆公表された変換ミスの例(抜粋、記事中の例を除く)◆
    正しい変換    変換ミス              正しい変換    変換ミス
  原料が高価   →減量が効果             評価、解析    →氷菓、懐石
  模様替え日   →模様が海老             渡しといて下さい →私と居て下さい
  ひびきあい活動 →日々気合活動           西郷どん     →最後うどん
  正式名称が   →正式名生姜             美白        →美は苦
  威嚇用      →烏賊供養               雨天決行     →雨天結構(読売新聞)
  [8月16日21時14分更新]』

いや〜なかなか面白いですね。
実際、自分でPCに入力中に「なんでこんな文字に変換されるんだろう?」と不思議に思うものも少なくないですよね。
日本語は、1つの言い方でも色んな意味合いに取れるので、大変困難な文字じゃないかと思っています。
(他国の言語を余り知らないので、大それたことは言えませんが・・・・)

NHKの「プロジェクトX」に、日本語ワープロを作った人たちの話しがあるのを思い出しました。
彼らも、1つの言葉に対して数多くの漢字を持つ日本語をどのようにするか・・・と、大変苦労したそうです。
ちなみに、
英語の「I」は、ドイツ語の「Ich」ですが、では、日本語ではいくつありますか?
わたし、わたくし、僕、俺、ウチ、ワイ、手前、拙者、オイドン・・・・・・?
(他に知っていたら、教えてください。。。。。。)
2004年08月18日(水) 天気は 曇り/晴れ 写真 0411
今日の天気はフェーン。南風が吹き上げており、暖かい。
現在「読売新聞」の取材を行なっている。
「駅」というタイトルで、世界中の駅を取り上げているという。
今回は、クライネ・シャイデック駅とグリンデルワルトの村を取材している。
これは、10月10日(日)の日曜版(全国版)で見ることが出来るそうだ。
ぜひ、みなさんも読んでみてください。

そこで、今日は酪農家を訪問し、チーズの作り方を見学させてもらった。
弊社で企画している「チーズ作り体験」でも、お世話になっている酪農家である。(
写真参照
2004年08月17日(火) 天気は 曇り/晴れ *** 0410
今日の天気は曇り。ちょっと肌寒いかな。。。という感じ。

ところで、昨日と今日の朝、名古屋の「FM−名古屋」に声だけの出演をした。
番組は、「MORNING JACK」(DJ:落合健太郎氏)といい、午前08時〜の番組である。

これを聞いてくれた方からのメールが届いた。
『突然ですが、日本は岐阜からお便りします。今朝、ZIPFMを聞きながら出勤しました。
安藤さんのお話に(昨日は残念ながら、聞き逃してしまいましたが。)一度だけ訪れ、一晩だけ最高な気分で過ごしたあの
グリンデルワルドの村を思い出しました。
ユースホステル(といっても素晴しいロッジですよね!)から聞こえるヤギのベルの音に夜は安らぎ、朝は目覚め。。。
出くわした子ヤギの“ど”アップの写真はこれまでの私の撮影した中で最高の出来でした。
思い出を語りだしたら、きりがありません。お忙しい皆さまのお邪魔にならぬよう、ここまでにしておきますが、とにかく、
今朝は本当に気持ちのよい朝でした、ということが伝えたくて。安藤さんのお話のおかげです。
私も将来住むならスイス以外に考えられないくらい、数年前の体験に気持ちを引きずられています。21年間、そちらに
いらっしゃる安藤さんのお気持ち、未熟な人生経験ながら、少しは共感できます。
これからも、旅する人の心をあたためてあげてください。お仕事、頑張ってくださいね。それから、そちらでの生活ももっと
もっと楽しんでください。』
ラジオ番組だけど、こうしてスイスを思い出してくれた方が居ると知って、私は嬉しいです。
もっともっと、スイス・グリンデルワルトに来る「スイス・グリンデルワルト大好きな旅行者」を増やしたいし、知って欲しいと
願っています。。。。。
2004年08月16日(月) 天気は 晴れ *** 0409
今日の天気は晴れ。でも、気温が少し低いようだ。

さて、夜のオリンピックでは我が家は盛り上がった。
もちろん、「体操ニッポン」である。
ず〜と、ルーマニアが1位で日本チームが2位だったけれど、ルーマニアの選手が鉄棒で落下してからは、「もしや?」と期待
した方も多いはず。
更に、アメリカチームの鉄棒は難しい演技が少なく、ミスはなかったものの点数が少ないだろうと読んでいたら、案の定。
で、日本チームの米田功が成功し、2番目の鹿島丈博が成功すると、もうこれは「逆転優勝 間違いない!」に変わっていた。
そして、3人目の冨田洋之が完璧に着地すると、もう我が家は拍手と大歓声。

海外に住んでいると日本人の活躍は嬉しいもの。
しかも、場所はオリンピックである。
28年ぶりの金メダルである。
28年前の「体操ニッポン」を思い出して、おやじは嬉しかった。。。。(笑)
2004年08月15日(日) 天気は 晴れ *** 0408
今日は久しぶりのお休み。
朝はの〜んびりと起きました。

オリンピックでは、初日から柔道の金・金・金が続き、水泳でも金、と日本チームの活躍が際立っており、我々も嬉しい。
その他の競技でも順調に勝ち進んでいるようだ。
ただ、スイス・チームがいまいち強くないので、残念だが。。。。

オリンピックを家族で見ていて、の会話。
私と子供たちは、数年前にグリンデルワルトの村の中をマラソンした日が、数日あった(笑)。
(いつの間にか、走らなくなってしまったが・・・・)
そこで、
「また、久しぶりにみんなで走ろうか!健康にいいぞ!」と、私。すると、
「僕は、自転車で併走するよ」と、長男が言い。
「私は、自動車に乗ってゆく」と、長女が言う。
「私は、沿道で旗を振って声援するわ」と、家内が言う。
「・・・・・」
みんながみんなの顔を見渡して、大笑い。。。。。。
これこそ、今の安東ファミリーの4人の性格を、正確に言い表している。。。。。。(笑)
そして、誰も異論を唱えるものは居なかった。
みんな、納得したのである(笑)。
2004年08月14日(土) 天気は 晴れ *** 0407
09日間ご一緒した大阪からのご家族をジュネーヴ空港までお連れして、仕事が終了した。
久しぶりにグリンデルワルトに戻ってきた。
これからは暫くの間、地元グリンデルワルトでの仕事が中心となる。

ところで、4年に1回のオリンピックがアテネで始まった。
みなさんご存知の通りである。
我が家も、オリンピックのテレビが中心になっているようだ。
昨日は開会式を見た。(私はベルンのホテルで、家族はグリンデルワルトの自宅で)
そして、今日は家族4人揃ってグリンデルワルトで見ている。

私たちも子供たちも日本人だから、当然ながら日本人選手の活躍に期待し、メダルの獲得に喜ぶ。
と、同時にスイスに住んでいる以上、スイス人選手の活躍にも、メダルの獲得にも喜ぶ。
まるで、「二重国籍者」のようだ。。。(笑)

でも、単純に国籍を超えて喜べるオリンピック。
戦争でなく、人殺しでなく、このような競争は歓迎だ。
2004年08月13日(金) 天気は 晴れ *** 0406
08月11日〜12日までツェルマットに居た。
宿泊したホテルではインターネットに繋げなかったので「おやじのつぶやき」も休んでしまった。(お許しを・・・)
で、今は首都ベルンである。

今年は夏のハイシーズンにスイス各地を旅した(?)。
例年ならばグリンデルワルトから出ることは滅多になかったのだが。
そして、スイス各地を旅して分かった。
夏のシーズンは、グリンデルワルトに限らずどこも混んでいるだ!と。。。。(笑)
(今までは、混んでいるのはグリンデルワルトとツェルマットだけかと思っていたが。。。。)
2004年08月09日(月) 天気は 曇り/雨 *** 0405
今日の天気は、曇り。
ユングフラウヨッホ観光とハイキングなどを行なう。
夏休み中とあって、日本人や外国人の家族連れでどの駅もユングフラウヨッホも、どこもかしこも込んでいた。
ヨッホからの帰りの電車の中で韓国人の若者5名と話す機会があった。
韓国人の若者と同じ電車に乗っても滅多に話しなどしない(韓国人に限らないが)のだが、今日の韓国人の若者(男性)が妙に
フレンドリーで、だれかれ構わずに話しかけていた。
そこで、私も話しをしたのだが、英語はもちろん、日本語も流暢に話すので驚いた。
聞くと、多くの若者が日本語を学んでいるとか。
安い航空券(シンガポール航空と言っていた)で、ロンドンからのバスツアーだそうだ。
20日間、9カ国を回るそうだが、現在の宿泊地はキャンプ場という。
大学生、学校の先生、そしてサラリーマンと多彩なメンバーだったが、このツアーで知り合ったという。
それにしても、韓国の若者は英語も日本語も話すのに、日本の若者は英語でさえ満足に話すことさえ出来ない。
相変わらずの「日本の英語教育」。情けない。。。。。

日本では今、韓国語を勉強する若者も多いそうですよ。
韓国のテレビドラマが日本で評判だそうですよ。。。。と、インターネットので知った話をすると
「ヨン・サマ(?)を知っていますか?」と聞くから、
「ええ、ニュースで名前だけは知っていますよ」と答えると、
「韓国では大スターなんですよ」と、嬉しそうだった。(笑)

メールが届いた。
『前から聞きたかったんですけど、今日は思い切って質問します。
安東さんは、日本人が嫌いなんですか?』
メールを見て思わず「目が点」になった。
な〜んで?
私は、日本人に限らず。。。。。
*常識がない
*マナーが悪い
*自分勝手な
*思いやりがない
*自己中心的な。。。。。。
そんな人は、外人も含めて「嫌い」です。

夜の6時30分ごろに、事務所のガラスをドンドンと、激しくたたく音がした。それも、何度も。
ひさしを取って覘くと、そこには1名の日本人のおやじが立っていた。
「ちょっと、待ってください」と目で合図して、入り口のドアーを開いてみると、
「入り口が閉まっていたから・・・」という。
「営業時間が終了していますから」と、私は言い、
「ガラスをドンドンと叩かないで下さい。割れますから・・・」と更に言う。
(入り口が閉まっていたら、普通は閉店時間だと気づくだろうが・・・・・)

「で、何のご用件でしょうか?」と聞くと、
「明日のハイキングコースのことで聞きたい」と、おやじは言う。
「○○コースと、XXコースは、どちらに花が多い?」
「○○コースと、XXコースと、△△コースのうち、展望がいいのはどれ?」と、そんな質問である。(あ〜あ・・・・)

「明日の営業時間は何時から?」と聞くので、
「午前09時からです」と、答えると、
「出発は08時20分だ」と。
(そんなのこっちの知ったことか)
で、私が丁寧にハイキングコースの内容に付いて答えると、
「もっと詳しい情報はどこでもらえるか?」で、ある。。。。
(呆れて物が言えない)
「今お話したのが情報ですよ。もっと欲しければ、宿泊しているホテルのフロントか、今日ハイキングした方にでも聞いてみては
いかがですか?」と、私もカチンときた。

こんなおやじも、「私は嫌い」である。
2004年08月08日(日) 天気は 晴れ *** 0404
今日の天気は、晴れ。
サン・モリッツからお客様は「氷河急行」に乗ってアンデルマットへ。私は、車で走る。
フルカ峠、グリムゼル峠を越えて、グリンデルワルトへとやって(戻って)来た。

グリンデルワルトでも観光客は多く、混んでいる。
勿論、日本人だけではなく、色んな国々からのお客さんで混んでいるのである。

次のようなメールが届いた。
『安東さん、こんにちは
「おやじのつぶやき」毎日、楽しみにして読んでいます。
今日7日の「おやじのつぶやき」ですが、ベルンでスリにあったというくだりを読み、あっと思いました。
我々もベルンで同じようにスリの被害にあったのです。

状況は次のようでした。
グループ6人でツェルマットに行くため列車に乗り、1等車のコンパートメントに座りました。
発車後数分して日本人女性が来て列車のデッキに財布が落ちていたと届けてくれました。グループの女性のものでしたが、
ショルダーバッグに入れてあったあったもので紛失に全く気づいていなかったのです。
現金だけ抜かれていてパスポートやカード類は無事でした。
不審な動きをしていた男のことを思い出した仲間がいました。
乗車時スーツケースを乗せるために皆で乗車口で協力していたところ、かきわけるようにして降りていったのです。
空いているドアからでなく、なぜ混み合っているドアから遅れてわざわざ出ていくのかと思ったそうです。

その男が犯人だったとすると、推測ですが我々がホームにいたときから目をつけられていて、列車到着後別の入り口から先に
乗り込み我々に近づいて反抗に及んだのです。
被害は現金の一部でしたので、あきらめて旅行を続けました。なぜ財布がデッキに落ちていたかは判りません。被害届を
出させないために現金だけ抜いて戻したのかもしれません。

今日、ベルンで乗車時に被害にあったとの話を読み、同じような被害が出ているなら安東さんに判断していただいて、これから
行かれる方に注意するよう呼びかけていただければと思います。
今回は夏でハイキングが主でしたが冬にスキーも良さそうですね。そのときはまたお世話になりたいです。』

夏の観光シーズンになると、「プロのドロボウ」がスイスにやって来ています。
場所は、ベルン、チューリッヒ、ジュネーヴなどの観光地です。
(数年前には、グリンデルワルトの駅でも被害が多発し、取締りの結果ドロボウは捕まりました)

「スイス=安全」の神話は、残念ながら崩れつつあります。
安全だから、ドロボウが発生しやすいのです。
しかも、対象は、ほぼ100%は日本人です。
スイスであろうが、日本であろうが、自分の荷物(貴重品)は、自分で管理するという基本を忘れないで下さい。
(特に、1人旅よりも数人のグループが最も狙われやすいのですよ!)
日本人が狙われやすい理由・・・・
1)現金を多く持っている。
2)短期間の旅行なので、警察への届けもしないし、出来ない場合が多い。
3)自分の荷物から目を離す場合が多い。
4)油断しやすいので取り易い。。。。。。

どうぞ、これからスイスを旅行する皆さんもご注意下さい。
2004年08月07日(土) 天気は 曇り/雨 *** 0403
今日は、サン・モリッツから「ベルニナ急行」でお客様はイタリア領「ティラノ」へ。私は、車で向う。
天気は、雲が多く、午後には雨が降っていた。ざんねん。。。。。。

ところで、弊社のプログラムに参加されたお客様からの「声」です。

『7月16日(金)に夫婦で「氷河を触って歩くコース」に参加した者です。大変お世話になりました。
あの日は天気が大変良く、素晴らしい一日を過ごすことができました。
私たちはスイスが3度目で、普段は夫婦でハイキングを楽しんでいますが、メンヒヨッホヒュッテへは標高が高いこと、氷河の
上を歩くことから、ツアーへの参加を決めました。特にメンヒは登っている人もはっきり分かるほど間近で見ることができ、感動
しました。
氷河の白さと空の青さがとてもきれいで今でも目に浮かぶようです(東京が暑い…スイスにまた行きたい…)。
ガイドさんには、たくさん写真を撮っていただきありがとうございました。ステキな写真がたくさんあります。
道そのものは思ったよりも分かりやすく、歩きやすい道でした。ぜひ多くの方に同じ感動を味わって欲しいコースです。
あと、グリンデルワルドで予約していただいたホテル(フィッシャーブリック)も良かったですよ。食事がとてもおいしかったです。
グリンデルワルドは団体客が多いのが苦手だったのですが、ホテル周辺は静かで、部屋からは氷河と教会の眺めが良かった
です。その後、サンリュックで野生のエーデルワイスを見つけたり、マーモットを身近で見たり、とても良い経験をすることが
できました。最後、ベルンで空港行きの電車に乗る際、スリにあったのが残念ですが…。
でも、また、スイスに行きたいです。その際はまたよろしくお願いします。』
2004年08月06日(金) 天気は 晴れ/曇り/雨 *** 0402
昨日は、スイスの首都「ベルン」から「チューリッヒ」へとやってきた。
2日間だけのお客様をベルンからチューリッヒ空港にお見送りして、その後、夜には別のお客様が日本から到着。
そのままチューリッヒに宿泊である。
またまた、町は、暑いね〜〜〜。
たまりませ〜ん!!!

今日はチューリッヒから、サン・ガレン、ファドーツ(リヒテンシュタイン)、マイエンフェルトを見学しながらサン・モリッツへと
やって来ました。
天気は、曇り〜雨。気温が下がっていいかも(?)
明日は、晴れてくれるだろう・・・・

マイエンフェルトには、日本人の団体ツアーが3本来ていた。
「ハイジの家」(博物館)を見て、お土産を買って、ホテル・ハイジホフで昼食を取っていた。
「ハイジの家」(博物館)には、ハイジのような民族衣装を着た女の子が2名居て。
記念写真を一緒に撮るのに応じていた。
(写真を撮るのは日本人だけである。外人は撮らない。なぜなら、自分の子供と同じような顔かたちをしているから・・・)

ところで、今朝のチューリッヒの宿泊したホテル。
台湾当たりの団体さんがドバーと居た。
いつも、日本人の団体さんのことを書く私だが、団体さんは、日本人も外人も、ないね。
み〜んな、同じです。
朝食のレストランに行くと、食べるものがなかった(ア然)。
近くのテーブルで食べている「おやじ」(50歳代)は、パンの耳をしっかりと残して、中の柔らかい部分のみ食べていた。
それも、いくつも。
こんな食べ方、私の小さい頃には、叱られたもんだ。
でも、この「台湾おやじ」(?)は、しっかりと品のない食べ方をしていた。
隣に座った英国人のおばあさん2名が、この食べ方を見て笑っていたが、「おやじ」は、知る由もない。。。。
(「おやじ」の親の顔が見たい!/いや、見たくもない。。。。笑)

団体は大声で話す。ハッキリ言って、うるさい。
しかも、他人にはお構いなし。
これは、日本人も、台湾人も、ドイツ人も、アメリカ人も。。。。。。み〜んな、同じである。。。。
2004年08月04日(水) 天気は 晴れ *** 0401
今日は、ツェルマットからスイスの首都「ベルン」へとやってきた。
町は、暑いね〜〜〜。
たまりませ〜ん!!!

スイスのニュースから・・・・
『村役場が建国記念日祝賀行事の準備を忘れる (Thu. 29.07.04 Smi)
 ツューリッヒ州にある小村トゥリューリコンの村役人が、8月1日のスイス建国記念日祝賀行事の準備を忘れた。
人口1,000人の村の担当者は真近になって気付いたが、時既に遅し。ご当人は現在夏休みで海外に行っている。
ツューリッヒ州の隣トゥールガウ州にある自治体が住民を建国記念日の祝賀行事に招待しているが、54kmも離れているので
招待に応じる村民は左程多くはなさそうだ』
あははは、スイス人も人間ですね。
お役所仕事忘れて、本人は休暇に行っちゃった、、、、、(笑)
2004年08月03日(火) 天気は 晴れ/曇り/雨 *** 0400
今日の天気は、快晴〜曇り〜雨・・・と変化した。
私の行動もスイス国内をアチコチ動いたからだ。
10日間ご一緒した家族をチューリッヒ空港にお見送りした。
それからベルンに行き、一旦グリンデルワルトに戻り、そして、夕方からはツェルマットに来ている。
(明日から別のお客様をご案内するため)
2004年08月02日(月) 天気は 晴れ 写真 0399
今日の天気も、快晴。
サン・モリッツから峠を越えて、マイエンフェルト(ハイジの故郷)、ファドーツ(リヒテンシュタインの首都)、サン・ガレンの修道院
(世界遺産に指定)を回って、チューリッヒにやってきた。
ひとこと「暑い〜〜〜〜〜!!!」
「汗が流れ出てくる〜〜〜」
「まるで、日本の夏じゃ〜〜〜〜」
「死ぬ〜〜〜〜〜」
「あ〜あ、山に帰りた〜〜〜い!!」(ハイジの心境、その2弾) 笑

夕食は、武器庫を改築したレストラン「ツォイグハウスケラー」で食べた。
客は半分の入りだったが、その80%くらいがアメリカ人だった。
アメリカ人は、テロを恐れてスイスに避難してきているのだろうか???(じょ〜だん、です)

昨日は、スイス建国記念日だったが、新聞やニュースによると、「極右翼」の若者たちが「スイス建国の地・リュトリ」の丘に
集まって「反対集会」を開いたとか。。。。。。。
ひとこと「スイス」といっても、当然ながら、変な人も居るし、悪人も居るし、犯罪者もいるし、右翼も左翼も居る。
「良い人ばかり」ではない、のである。。。。。

「写真」は、08月01日のグリンデルワルトの様子です。
2004年08月01日(日) 天気は 晴れ 写真 0398
今日の天気も、快晴。
スイス建国記念日である。グリンデルワルト以外で迎える建国記念日は、私は初めてである。

「ベルニナ急行」にお客様が乗車し、私は車でイタリア領のティラノへと向う。
さすが、イタリア。暑い!
じっとしているだけで汗がにじみ出てくる。。。

さて、日本のニュースから・・・(ちょっと古いが・・・)
『社会ニュース - 7月23日(金)3時7分      <自殺者>リストラ、うつ、過労…1日100人が死を選択
   年間で3万4427人が自ら命を絶った。警察庁が22日発表した昨年1年間の自殺者数は、過去最悪で6年連続3万人を
上回った。
リストラ、うつ、老後の生活……。死の選択の理由はさまざまだが、全国で1日当たり約100人が自殺している現状を改善しよう
と、行政や民間の取り組みが始まっている。
   ■いのちの電話 「死にたい」と3705件
   さまざまな悩みの相談に応じる「いのちの電話」(東京都千代田区)には、昨年「死にたい」と訴える電話が3705件あった。
前年より319件増え、過去最高。特に60代女性からは138件で前年の3倍以上だった。事務局は「生きる目標を見失ったり、
将来への不安を感じる人も多かったのでは」と分析する。
   相談の増加を受けて今年4月には、相談員採用のため初めて公開講座を開いた。仕事の内容を理解し、相談員としての
能力を自己判断してもらうことなどが目的で、開いていく方針だ。
   民間団体の東京自殺防止センター(新宿区)にも、昨年30〜40代を中心に約1万件の電話があった。センターは今年5月、
個人や企業関係者ら約40人を集め、悩んでいる人から話を聞き出すための講座を初めて開いた。グループ討論などから、
相手の気持ちを吐き出させる方法を学んだ。講座は11月にも開かれる。【西脇真一】
   ■厚労省は「うつ対応マニュアル」配布
   うつ病から自殺につながるケースが多いため、厚生労働省はその対策に乗り出している。今年1月、自治体職員を対象に
した「うつ対策推進方策マニュアル」と、保健所の保健師らに向けた「うつ対応マニュアル」を作って、配った。
   自治体へのマニュアルでは、老人保健事業の健康相談を活用したり、児童相談所や医療機関などと協力してうつ病に
ついて啓発するよう指摘。役所などの相談窓口で、うつ病専門の相談日を設けるのも有効としている。
   厚労省精神保健福祉課は「うつ病患者の4分の3が医療機関にかかっていないというデータもあるので、気楽に相談できる
環境作りが必要。早く治療すれば、結果的に自殺予防につながる」と話している。【玉木達也】
   ■リストラの影響で過労自殺も増加
   リストラで人が減らされた職場では、1人にかかる仕事の負担が増えたことによる過労自殺も増えている。実際、過労を苦に
した自殺(未遂を含む)の労災申請は、01年度92件(認定31件)、02年度112件(同43件)、03年度121件(同40件)と
増加している。
  全国21の労災病院に設けられた「勤労者 心の電話相談」には昨年度、「自殺したい」との相談が414件寄せられた。
深刻なケースでは、産業カウンセラーや臨床心理士らがアドバイスしたり、労災病院の診療科を紹介している。
  厚労省は自殺予防10カ条などを示した「職場における自殺の予防と対応」(01年12月)なども作っている。ただ、労働衛生
課は「自殺の動機が職場の問題だけなのかどうか分からず、対処方法も一律ではない」と言い、抜本策は打ち出せていない。
【大石雅康】)

自殺すること自体、私には出来ないが、しかし自殺する人は増えている。
「な〜んで?」と思ってしまうが、本人は真剣なんだろう。
大人も、子供も(最近は多い・・・)、自殺者が多い、と聞く。
でも、他に手段はないのだろうか?
生きているほうが「しんどい」というのは事実だろうが。。。。。。
しかし、「死ぬ前」に、何か出来ないのだろうか?
残された家族はどうなるんだろう?
死ぬこと自体は大変なことだと思うが、その前に、なんとか出来ないのだろうか?
本人も、周りの人間も・・・・。